トランスクリティークを読む

柄谷行人の「トランスクリティーク」をやっと読み終えた。500頁以上ある大作で内容もかなり高度だったので読むのに苦労したけど。彼のシリーズで言えば「探求」の第3作に当たる。探求Ⅰ、Ⅱは議論が抽象的で実に難しかったが、この第3作はそれよりは読みやすかった。それにしても、今思えば、この「探求」シリーズで、柄谷は確実に思索の実質的内容を深めて行ったのだと分かる。その「まとめ」として、この第3作がある。

この本の第1部「カント」、これはかなり難解だった。ここでも「超越的」と「超越論的」の違いが、議論の中心だ。これから派生して「主体と場所」「超越論的と横断的」「単独性と社会性」「自然と自由」などが議論される。ただし、カント思想の本分が示されるのは、第2部第4章「トランスクリティカルな対抗運動」における、世界平和に関する考察が出てくる箇所である。

第2部「マルクス」、こちらはまだ読みやすかった。一応全部読んだが、しかし、すっかり理解できたとは無論言い難い。特に第3章「価値形態と剰余価値」は、じっくりメモを取りながら再読しなければならない。例えば、経済的「価値」がどのように生まれるのか、それと「利潤」がどう違うのか、柄谷は違うと言うが、自分にはまだ理解できていない。この部分は、資本主義や「貨幣」の本質を理解するのにも欠かせないと言うのに。

また、暗号通貨とかデジタル円などを理解するにも必要な気がする。例えば、現状、年金も各種支払いも現金は一切使わず、通帳上の数字のやり取りだけで済んでいるから「円」って既に「デジタル化」されてんじゃないの?と思うのだが、今使われている「円」と「デジタル円」は少し違うらしい。TVの解説では分からなかった。この辺にも関係ありそう。

この本では、景気が良くなると賃金が上がるが、それと共に利潤率が低下して行くので、いずれ「恐慌」が起きて経済がリセットされる、と書いてある。今の日本は、株価が上がり賃上げの動きも急で、マスコミ等では、これまでのデフレを脱却して「好循環」が回るはずだとの楽観的見通しが盛んに語られているが、果たしてどうなのか・・?ドルも、一見好調そうに見えて、実はかなり危うい状況にあると「田中宇ニュース」では報じているし、この本で柄谷が言っていることが正しければ、いずれは株価暴落その他「恐慌」が起きることになる。どうやら、その蓋然性はかなり高そうだが、果たして・・?

柄谷が鋭いと思う例として、株や債券を扱う「金融工学」は「実体経済」とかけ離れた幻想だとの議論があるけれども、その「実体経済」と称するものも、おカネつまり「貨幣」の流れである限りにおいて「幻想」なのだと言う指摘だ。貨幣自体が、一種の形而上学、つまり、単なる金属や紙切れに「価値」が宿っているとする「神学」に依っているからだと。

こんな話、マスコミにはまず絶対出てこないだろうし、投資やら株価やらに血まなこになっている人間たちには、それこそ空論、夢物語に聞こえるだろうけれども、深く現実を見据えるなら、柄谷の言うことが正しいのだ。株や債券が一瞬にしてただの紙切れになってしまう瞬間というのが、現実に起こるからだ。

要約すると、この「トランスクリティーク」を読んで、カントとマルクスが偉いことは良く分かった。今の憲法(特に9条)にはカントの考えが入っているし、これからの資本主義克服への道筋は、マルクスが既に考えていた。この二人は、全然古くなどない。何も分かっていない奴に限って「マルクスなどもう古い」なんて言うわけ。今、若い学者たちもマルクスを読み直している。斎藤幸平や白井聡など。その前に、柄谷行人が深く読んでいた訳だが。

この本の続きとして彼の代表作「世界史の構造」が生まれ、さらに「帝国の構造」「哲学の起源」などが書かれたことは、よく理解できる。言わば、必然の成り行きなので。また一方、柳田国男に関する本(「世界史の実験」「遊動論」など)が書かれた意味も、これらを読んで初めて分かる。彼の考える「アソシエーション」の具体例が、柳田作品には現れているからだ。柳田の著作の裏に隠れている真の問題意識が、他の読者には分からずとも、柄谷にはひしひしと伝わっていたのだろう。

今のところ、未読の柄谷本として「哲学の起源」と「憲法の無意識」が次の読書対象候補になっている。文芸批評の類、例えば「日本近代文学の起源」などは、少し遅れそうだ。その前に読むべき、または読みたい本が多いので。