今年の終わりに

仕事場で時間を過ごすのは、年内は今日が最後だ。ブログも今月11回目の節目(?)になる。そこで、今年の総括と来年への展望を書いておこう。

今年は、個人的には6月からこのブログを書き始めたのが最大の「事件」だっただろう。毎月11個のブログを書き続けた。内容は自己紹介から始まり、音楽や読書、時事的話題や哲学的考察に至るまで多岐にわたり、傍から見たら分類分けに困る種類のブログだったと思う。しかし、それで良いのだ。何か一種類の分類に入ってしまうブログなんて、詰まらないじゃないか。それに、私は誰かに「受けたい」気は全然なく、日記帳代わりに思うことを記録するために書いているので、受け狙いの媚びた表現などは全く排除する。そんなのは大嫌いなのだ。

私はなるべく話題を広く採り、しかし一方、考察をできる限り深める努力を続けたい。何しろ「書くことが生きることである」からには、その書く内容が単なる愚痴の羅列、なんて不様な有り様は自分に対して許せない。そのために、私はまず情報源をなるべく広く集め、吟味し、自分の中に取り入れる。そして良く考えて文章に書く。

情報源の大きな部分は今ではネット記事であり、これは無論玉石混淆であるから記事の信用性には気を配り、裏も取る。ネット記事は言わば「流行」に当たるが、もう一方の「不易」に当たる情報は、主に本から得る。透析中の読書は、そのための大きな部分であるから、これをパソコンゲームなどに費やす気は、今のところない。本当は、囲碁や将棋をタブレットで愉しみたい気は少しあるんだけど(透析中は左手しか使えないのでタブレット端末が良い)。

今年の読書について言えば、何と言っても柄谷行人を「発見」したことが大きい。彼の名前は以前から知っていたが、小林秀雄吉本隆明の亜流のような気がして、少し敬遠していたのだった。確かに彼はその出発点ではこの二人の影響を受けているが、その後は完全に脱している。

加藤周一堀田善衛らの亡き後、現代の左翼的知識人の多くに失望していた私にとって、柄谷の思考は実に刺激的で、私の問題意識に直に突き刺さったのだった。現代思想の大きな潮流である「脱構築」を克服し、また現代の病である「新自由主義」を乗り越えるために何を考えるべきか、を考えあぐねていた私には、柄谷の本はちょうど的に当たったように思えた。彼の思考の魅力は、物事を根底から考える点だ。そのために、プラトン、カント、ヘーゲルマルクスらを自由自在に扱って見せる。スピノザその他の思想家も出てくる。彼の本を読んで、来年行う集中講義の内容も、一部変更しなければ、と思うようになった。世界史を見る目が一変したからだ。

そう、来年は5月と11月にまた二日間の集中講義をやる。これまで既に3回やり、資料も相当に充実させたつもりだったが、柄谷を読んで追加したくなった事項が幾つか出てきたのだ。

そして、その前の2月に、東京でやる国際学会で研究発表することになっている。会議主催者から招待講演を頼まれたからだ。世界に向かって、脱炭素などナンセンスだ!と声を放つ良いチャンスだと思って引き受けた。今日は、そのAbstractを作って送るつもり。今年最後のmust仕事。A4版1枚だから、大して時間はかからない。でも、英文書くのは久し振りだ。

健康面に関しては、4・5・11月に心カテーテルを受け、11月の分で一応大丈夫となって1年間は猶予期間をもらえた。今後は貧血に気をつけながら、運動負荷を少しずつ上げたい。

まだ表には出ていないが、地球温暖化や脱炭素に疑問を抱く人たちが集まって本を作る企画が進みつつある。私も執筆陣に加えていただくつもり。その他に、私自身がアゴラに書き続けてきたことを本にまとめて、世に問う試みもやってみたい。来年も、やるべきことは山ほどあるなあ。