今日もあれこれと

今回の衆議院補選、3地区とも投票終了=開票開始と同時に「当確」が出るほどの大差だった。「改革」など本気でやる気が無い自公のふざけきった態度に、有権者はかなり怒っている証拠だ。野党は今がチャンスなんだから「これからどんな社会を創るのか」のビジョンを明確に示さないと。小異を捨て大同につくべきだが、譲れないのは平和憲法(=戦争をしない国)と富裕層優遇廃止の2点だろう。政治の基本は、戦争をしないことと民を飢えさせないこと、この2点であるから。

タックス・ヘイブン」という岩波新書を読んだが、日本などの税制は歪んでいることが良く分かる。合計所得1億円までは所得と共に税率も上がる(最高28.3%)のだが、1億円を超えると却って下がってしまう。100億円だと13.5%まで下がり、これは1000万円の税率10.6%と大差ない。なぜこんなバカなことが起きるかと言えば、税率を上げすぎると富裕層は所得を海外の「タックス・ヘイブン」に逃がしてしまうからだと。利益逃がし、実は大企業もやっている。日本のGDPが上がらない理由の一つは、稼いだはずのカネが海外に流れているせいかも知れない。これらを是正する法制整備なども、野党は公約に挙げるべきだ。無論、経団連や富裕層は大反対するに決まっているが、それを民の力で跳ね返さないと。

今は円安だって騒いでいるけど、昔は1ドル360円、1985年までだって1ドル240円だった。それでも円安で大変だなどと騒いではいなかった。当時から見たら今の1ドル160円なんて可愛いものだ。一方で、輸出企業は円安で大儲けしていて、貿易収支は黒字だ。つまり国全体でみれば、今は円安のメリットが効いているはずだが、物価高ばかりが目立つ。これはつまり、円安で儲けた分が国民に還元されず、どこかに偏っていると言う意味。経済学者は、なぜこの点を指摘しないのだ?円高・円安、それぞれメリットとデメリットがある。

円が乱高下するのは投機的な動きのせいだと財務省は言っている。ならば、投機的なマネーゲームを抑制する仕組みを考えないといけないはずだ。今の「投資ブーム」も、元を正せばマネーゲームの一環に過ぎない。しかし、マネーゲームでは真の経済的「価値」は生まれない。元々「幻」である貨幣を転がすだけなので。土地の値上がり分が「幻」と同じなのと同じ。原点に立ち返って、国富の大元は一次・二次産業だ。三次産業=商業・流通では商品とおカネが流れるだけで、サービスの一部を除いて経済的「価値」は生まれていない。剰余価値論その他、経済をもっと深く勉強しなければ、との思いが強い。

大型連休には国会議員がこぞって外遊に出かけるが、今年も岸田首相が総額12億円も使って出かけた。行くなら能登だろうと言う声も強いが、この時期にニコニコしながら外国に出かける神経がちょっと理解しがたい。まあ、首相でいられる期間も長くなさそうだから、今のうちに遊んでおこうと言う魂胆かも。何せ連中は文字通り外「遊」なんで。

今朝の朝日一面は「海産物、温暖化の荒波」ってなあ・・。こんなデマまがいの記事が一面トップになるとは情けない。海水温が変動して水産物の分布が変わり、それに応じて漁獲高が変わるのは事実だが、それを温暖化のせいにするのはナンセンス。気温が変わっても海水温はほとんど変化しないから(熱容量が1000倍も違うから当たり前だ)。海水温は主に日射と海流の具合で変わる。黒潮の「大蛇行」も、メカニズム等はまだ不明だ。海産物の分布に対する大蛇行の影響は大きいのだが。漁獲量の変化の要因を何の根拠も示さず「温暖化のせいだと思われる」と書くバカなマスコミに、多くの大衆は騙される。科学的思考が出来ていないから。

核融合の宣伝に騙されるのも同じ。核融合など、現実を知ったら明らかに「夢物語」って分かるはずなんだが。そもそも、本物の核融合を実験で再現させた例さえまだなく、発電方式も目処が立っていないのに「核融合発電」って、飛躍し過ぎ。どちらも、専門家が本当のことを言わないのが悪い。御用学者しかマスコミに出てこない。

日本外交の馬鹿話。今回米国に行ってバイデンと共同声明を出した際に、岸田首相は中国を名指しで非難したので、むろん中国は反発した。中国が反発しても米国が護ってくれると盲信してたからだ。ところが、岸田の帰国後にすぐ米国高官(オースティンとブリンケン)が中国に行き、習近平のご機嫌伺いに行っている。そうなると、あの岸田演説や宣言は何だったんだ?と言うことになる。正にピエロの役回り。実に大バカだ。米国の言われるままに損な悪役を演じただけだのだ。中国を本気で怒らせて良いことは何も無い。あまり怒らせると、これまで棚上げにしてきた「歴史認識問題」を韓国と同じように持ち出してくる心配がある。日本は、米中露と「適度な距離感」で接するのが良く、どれかの「犬」に成り下がってはいけない。これを正す政治家が出て来なければならないのだが。