政治や経済あれこれと

今回の環境省聞く耳持たず」の件、たまたまTVに出たので騒ぎになったが、日本政府が国民の声を聞く気がないことは、今に始まったことではない。水俣などは「被害者の声を聞く会」を開いただけでもマシなくらいだ(マイク切りが不当なことはもちろんだが)。現状、原爆の被爆者や福島事故の避難者なども、ほとんど声を聞いてさえもらえていない現実がある。首相と被爆者団体の面会も、ほんの形だけのセレモニーに過ぎない。

先月、岸田首相が米国で行った英語演説を日本語に直訳したら、多くの日本人は驚くはずだ。「自衛隊は米軍と一緒に中露と闘います」って言っているのに近いから。そんなこと、いつ決めたんだ?ふざけんなよ!と多くの人は思うはずだ。これをキチンと伝えない大手メディアも全然なってないけど。安全保障・軍事関係では特にそうだが、ロクに議論もせず「閣議決定」で何でも決めてしまう。国民はこれにノーを突きつけないといけない。

環境省の件に限らず、日本の役人には「公僕意識」が薄い。これは江戸時代から変わっていない。「お上」意識が強くて、民間人・一般人を一段低く見る態度だ。「官尊民卑」と言う四字熟語がちゃんとあるんだから間違いない。「上級国民」という言葉もある。

昔話になるが、かつて研究者への進路が難しければ公務員試験でも受けるしかないかと考え、行くなら環境庁(当時)に行って仕事をしようと思っていたものだった。研究室の後輩は、実際にそう進んだ(後に途中で退職し大学勤務になったが)。幸いにして、博士課程が終わってそのまま助手に拾ってもらったので、公務員試験は受けずに済んだけど。

その、一時は憧れた環境省は、今ではすっかり情けない役所になってしまった。IPCCの言うままに地球温暖化説なんぞ信奉しやがって。少しは骨のある役人はいないものか・・?これも安倍政権以来、人事権を官邸に握られている弊害だろう。正論を言う役人が排除されるケースを幾つも耳にするしな。難しい試験をくぐり抜けた秀才が多いのに。

城山三郎官僚たちの夏」に描かれるような官僚像は、今は昔なんだろうけれど、外務官僚には天木直人や孫崎亨、文科省には前川喜平のような、骨のある人物が確かにいた。しかし彼らは政府に楯突いたために職を追われ、今は政府批判的な言論人としてある。私は彼らを陰ながら応援し、もし出来ることがあれば力になりたいと思う。

「グローバル経済史入門」という岩波新書を読んだ。良い勉強になった。世界の歴史を経済から見ることは有用だ。実際、世の中の動きというのは、多くは経済活動の原因や結果であることが多いから。例えば、1930年代の高橋財政は、軍需関連産業を中心とした軍事費の拡大により不況からの脱却を図り、その財源として赤字国債の発行とその日銀引き受けという「禁じ手」が敢行された。それで赤字国債の発行に歯止めが掛からなくなったので、戦後の財政法では、日銀引き受けによる赤字国債の発行が禁止されたとある。しかし今はどうだ?その、違法行為(=日銀引き受けによる赤字国債の発行)が堂々と何の不思議もないように行われている。一体これはどういうことなんだ・・?政府自ら、法律違反を堂々と行っている「法治国家」って・・?世の中には不可解なことが多い。まだまだ、勉強すべきことが多いと言うことだ。