友達いなくても・・

ネットで面白いやり取りを見つけた。以下はそのままの引用である。

問い友達いなくても生きていけますよね?

以下、回答:

私は70歳手前の隠居人です。昨年、二度と得られないだろう私にとっての親友が亡くなりました。なので現在、友達ゼロです。でも、もう作る気はさらさらありません。

厄介を持ち込んだり遊びに時間をとられる友達は欲しくないんです。

友達ゼロでも何にも気になりません。どの道、人は老いて一人で死んでいくのですから。

周囲に友達や家族がいたって、死ぬ時はたった一人ですから。

私自身は、子供の頃から気の合う友達?が2~3人ぐらいしかおらず、しかも、好かれて向こうから遊びに来たりすることはなかったので自然と友達と遊ばなくなり、その分、一人で時間を楽しめる趣味を多く作っていました。

趣味が増えると自然に好奇心が高まり、冒険心や向上心、挑戦心が生まれてどんどん知識を広げ、それが功を奏して、現役時代には仕事でもプライベートでも成功し、貧困層から富裕層にまで上り詰めることができました。

その間、多くの人間関係を持ちましたが、相変わらず友達は殆どおらず親友といえる人が一人だけでした。

仕事では人間関係をビジネスライク(仕事上の付き合い)に徹していたのでストレスが少なく、出世もし、気づくと有益な人脈ができていたのですね。

もちろん人脈は友達とは思っていません。尊敬する師であり現役時代の成功を支えてくれた恩人です。(それでも、盲信したり執着はしません)

質問の答えです。

人生を成功させるのに友達は必須ではありません。

ただ、じゃまにならない程度の数人の友がいた方が暇つぶしにはなりますが、趣味があれば別に必須ではありません。

友との遊びに夢中になってしまいその付き合いに時間を奪われると何もかもが中途半端になって友を失った後は空っぽの自分になってしまいかねません。

私のように人生全体を「自立心」を持って「挑戦的」に生きて「達成感」を持ち、一人で楽しめる趣味を多く持てば、友がいなくなっても、あるいは、最初からいなくても問題はありません友は持たねばならないことはないですが人間関係は必須です。

私たちは社会人なので友は不要でも人間関係は避けられないからです。

だからあえて「友が必要だ」と考える必要はまったくないんです。あれば「楽しい」けど、逆にあると「厄介や足かせ」も増える。そういうものだと思えばいいんです。

後、もしできるなら、良い結婚をすることです。友達なんかより死ぬまで信頼できる配偶者がいる方が人生には間違いなく有益です。

ただし、悪い結婚は有害なのでそうならないようにせねばならず、それが一番難しいといえば難しいのですがね・・・。

引用、ここまで。

この回答者は、私と歳が同じくらい、境遇も考え方もよく似ている。故にこの回答には大いに共感を覚える。もっとも、私には心からの親友と呼べる存在が一人もいなかったことと、昔も今も富裕層ではないことが回答者とは違う点であるが。

私にも人間関係はある。主に仕事関係だが昔の知り合い等を含めて年賀状を120枚ほど出す。以前は200枚近くあったが、亡くなったり「賀状終い」を告げる人なども増えて、出す相手が減少傾向にある。今度、ハガキ代がボンと上がったら、年賀状を止める人が更に増えるだろう。

一方で、私には親友と呼べる存在はいなかった。高校大学時代に親しくなった友人はいるが、腹打ち割って考えていることを何でも話し合えるような友はいなかった。対話の相手は常に本の著者だった。今の私の対話相手は、柄谷行人である。彼の本から触発されるものが多いからだ。

もっとも、私の場合は、前に書いたように54歳までは一卵性双子の兄がいたので、彼が一番考えの近い存在だったが、彼亡き後、種々話し合える相手は、配偶者以外いなくなった。その意味では、上の回答にある「友達なんかより死ぬまで信頼できる配偶者がいる方が人生には間違いなく有益です。」は、全くその通りだと思う。私の場合は、偶然に近いお見合い結婚だったんだけれど、最初は育った環境の違いなどで感覚が合わないこともあったが、時間と共に違和感は減った。今ではお互い、感じ方・考え方が一番近い存在になっている。

我々は似たもの夫婦の面があり、配偶者も友達つき合いが殆ど無い人間だ。学生時代からの親友が一人だけいたが、結婚後に幼い児を残して自殺してしまった。これ以後、配偶者には親友がいない。実際、この出来事は彼女にとって大きな損失だったと思う。

一方私の方は、学生時代、私にカミュ辻邦生森有正を教えてくれた友人がいたが、社会人になってからは金儲けしか興味がなくなったようで、私は付き合う気が無くなった。カミュ辻邦生森有正などは、私が生きて行く上で欠かせない存在だったが、彼にとっては「教養」という名の装身具に過ぎなかったことに失望したのだ。

私には真の親友はいないから、死んだとき誰が弔辞を読んでくれるのか分からない。多分、誰もいないだろう。だから願わくば、去年亡くなった義母の葬儀のように、近親者だけで集まり、ひっそりと火葬し骨を埋めてくれたらそれで良いのだ。それまでは、上の回答者のように、自立心を持ち挑戦的に生きて達成感を持ち、一人で楽しめる趣味を持って生きる。それで十分だ。