11月の終わりに

11月は結構忙しかった。10月31日の心カテーテル検査を終え1日に退院し、仕事場の片付けをやりながら月末の集中講義と締切原稿の準備を進めた。アゴラには1件だけ投稿した。他に大学問題など、議論したい話題は種々あったが、原稿にまとめきるには至らず放置してある。これは12月の宿題。ブログだけは今月も何とか11回載せることができそうだ。もっとも、30日にまとめて3回って、全くの「駆け込み」だけど。

11月25・26日の集中講義を終えて少し楽になったが、リポート採点・成績提出が残っている。月末締切の原稿も仕上げなくてはならない。技術顧問をしている会社のテコ入れも、そろそろやらなくては、と考えている。それに、年末恒例の年賀状作成もある。

読書は柄谷行人の難しい本2冊に手こずって冊数進まず、あとは吉村昭の「プリズンの満月」1冊だけ。東京裁判の戦犯とプリズン勤務者を描いた作品で面白かったけど。

YouTube等で、定年退職後は気ままに趣味に生きるのが良いと勧める番組があり、それはそれで良いのだが、私自身は「毎日何をしようか」で悩むことは全然ない。やりたいこと、やらねばならないと思うことが多くて、時間不足に悩まされているのが実際だ。つまり、いつも時間が足りなくて困っている。睡眠時間は削る気がない。睡眠不足で頭がボーッとしていたら、却って時間の無駄遣いになってしまう。頭はいつもスッキリしていたい。

12月は、まず1日夜に、ピアニスト、アリス=紗良・オットのリサイタルを聴きに行く。彼女はBSの音楽番組で見て興味を抱いた。演奏家は、生で聴かないと分からない。絵も実物を見なければならないのと同じだ。生演奏でこそ、演奏者の実力が発揮される、と私は信じている。何にせよ本番で出る力だけが「実力」なのだ。もっとも、引退したり亡くなってしまった演奏家はCDやYouTubeで視聴するしかないんだけど。特にYouTubeは生演奏を視聴できるので今では貴重だ。

17日には大阪で大学の同級会がある。卒業以来45年ぶりの再会だ。案内ハガキに載っていた前回の集まりの写真を見ても、誰が誰だか殆ど分からない。もっとも、大学の学部時代の友人関係は主にクラブ活動が中心で、学科の級友たちとのつき合いはごく限定されていたし、卒業後も交流は何もなかったから無理もないのだ。

幹事からのメールに、返信ハガキの文例が紹介されているが、私が書いたものと似た内容が多い。私だけでなく、卒業後45年全然会っていない仲間が多いらしい。だから私と同様、たまには会ってみようかと言う気になるようだ。実際、参加者の名前を見ると、学生時代には案外独りぼっちで過ごしていた印象の級友が多い。45人の学科の中で、半数以上が仲良しグループを作っていつも群れていて、残り半分弱くらいが割と独りで行動していた印象がある。むろん、私は後者だったわけだが。同年代なので、会社を定年退職した仲間が多い。似た境遇なので、同病相憐れむ、となるかどうか?

話は違うが、この前、夜寝る前に、空調を消し忘れた。寸前まで読書に没頭していたので、つい忘れてしまったのだ。せっかく溜めた節電ポイントが、かなりすっ飛んだ。バカだよなあ。もしタイムマシンがあれば前夜に戻って空調を消すことが出来るんだが。しかし、もしそれが可能だと、種々厄介なことになる。修正が可能なら、節電できたことになるのだが、そうなると前夜忘れて消費した電力はどこに行く?電力代の請求金額はどうなる?この例に限らず、過去に起こったことを何から何までやり直したり修正できることになると、歴史など書きようがなくなる。私の人生史も、過去に遡って種々修正できるとしたら、これまでの私の半生など無意味になってしまうだろう。

幸か不幸か、タイムマシンなど原理的に存在しないので、その心配は要らない。以前、時間論で書いた通りだ。人生は一度きり、やり直しは決してできない。過去に遡ることも、未来を先取りすることもできず、今現在だけが全てである。むろん、予定や計画は立てるが、それらはあくまでも目安に過ぎず、実行できるのは今だけだ。