空騒ぎ会議の「こき下ろし」続き

このCOPと言う会議、初めの方から何だか変だった。1997年の第3回が日本の京都で開かれて、その時採択された文書が「京都議定書」として知られているが、これが間違いの元だった。何故なら、この時決めた「排出削減目標」は1990年を基準とするもので、70~80年代までの石油離れ・省エネを既に徹底していた日本などには更なるCO2排出削減は非常に困難だったのに対し、旧ソ連や旧東独を抱えるロシアやドイツは、ほんの少しの設備改良等で簡単に目標をクリヤーできたからだ(ロシアなど、削減どころか増やしても良い決まりだった!)。天然ガス主体の英国、原子力中心のフランスにも有利だった。しかも削減義務は先進国のみに課され、途上国には課されなかった。それやこれやで米国とカナダは短期間であっさり離脱し、COP3の議長国日本はカッコ悪いので表立ってすぐには離脱できなかったが、後になって実質的な離脱を果たした。要するに「京都議定書」は「空手形」に過ぎなかった。

その後も20年近く、COPは毎年開催されたが実質的なことは何一つ決められなかった。2015年のCOP21で「パリ協定」が議決され、これは画期的だと評判になった。先進・発展途上を問わず参加国すべてに強制力のある義務が課されたからだ。しかし、その義務と言うのは「排出削減目標を示す」ことだけであり、しかも削減目標の表示方法が一律に「CO2換算○○トン」とかではなく、各国任意のやり方に任せられた。だから、国ごとに対GNP比で示したり、1人当り排出量で示したり、全然統一出来なかった。中国など、2060年まではCO2増やします、なんて凄いことも言った。無論、罰則などはない。しかも、その目標が達成できなかったらどうするか?は決められなかった。つまり「目標」だけ提示すれば良く、後の責任は問われない、超のつく無責任体制だったのだ。

その上に、パリ協定は2020年から発効する予定だったが、2015年から5年も経っているのに20年に発効できなかっただけでなく、23年までの各回でも発効に踏み切るための具体的な取り決めが何も決まらなかった。前回も書いたように、先進国と途上国の意見が対立してどうにも解決策を見出せなかったからだ。

このCOPと言う会議、京都議定書のくだりでも分かるように、最初は先進国中心の会議だった。しかし途中から発展途上国の意見が強くなってきた。彼らの言い分は「これまで先進国はCO2を散々出して経済発展してきたのだから、それが元で起きている気候変動に対して責任がある。だからカネを出せ。」というものだ。つまり、彼らにとって気候変動が人為的CO2が原因であろうと無かろうと関係はない。要するにカネを分捕れたら良い。実際、途上国の多くの人間は人為的温暖化説など信じてはいない。信じているフリをしていればカネが入るのだから、否定する必要は微塵もない。

そんなわけで、COPでの議論で真に科学的なものは何も無く、専らカネの分捕り合戦に終始するという醜態を曝している。各国政府代表の他に、環境NGOだの北欧の少女グレタなども参加して毎年大騒ぎするのだが、リゾート地に2週間も滞在して、いつもながら実質的なことは何も決められずに終わる。

さて、今年はどうなるかな?おそらく、強制力を持つ取り決めは今回も出来ないとは思うが、もし万が一できたとしても、CO2削減で気候変動の制御など出来ないのだから、所詮は無駄働きだと言う話になる。本当は、そのエネルギーを、もっと建設的なことに使う方が良い。

その例として挙げられるのは「これから化石燃料がなくなったら、どうやって持続可能な社会作りが出来るのか?」に関してだ。これは実は相当の難題なのだが、今後、少しずつ論じることにする。何しろ問題が多岐にわたるので。なお、この「脱化石燃料」は「脱炭素」とは似て非なるものである。それは、これらの中身を見れば明らかになる。