世の常識と異なることを書き続けることの難しさ

今朝「アゴラ」に載った私の論説に、早速、激烈な批判コメントが飛んできた。私が書いたのは、有人宇宙飛行には意味がなく、宇宙でやるなら無人機での探査や通信・観測機能などの利用に限るべきだという主旨だったのだが、宇宙開発の全てを否定する暴論であるかのように書かれている。全く、誤読もいいところだ。コメントするなら、まずは正確に読み取ってからにしてもらいたい。

しかし実は、これこそが難しい。自分の考えに反する言説に接するとつい頭に血が昇り、冷静に読解することが難しくなるからだ。プラトンが書いたこと:書かれた文章は、誤読に対して身を守る術を持たない。だから私は、本当に大事なことは書き残さないのだ:が、実にその通りだと言う感想とともに甦る。プラトンは、何もかもをお見通しの人だった。

私が2回の論説で書いたことはまず「有人宇宙飛行には意味がない」ことだった。今人類がやっていることは、宇宙船で地球の近くを周回しながら通信したり実験したりだが、こんなことは今ならロボットでもできる。今後AIが進歩するから、なおさらだ。通信・観測・探査・撮影などは、実際に無人機で何ら不足無くやれている。人間が無理に宇宙空間に出かける意味は薄くなった。一方で、人間が宇宙空間で生きて行くには、大変な労力を要するのだ。

月や火星へは、行くこと自体も容易でないのに、そこに住むことは更に困難だ。その点は、私は種々の科学的根拠を挙げて論じた。よく「地球が住めなくなったら他所の星に移住」などと言われるが、それらが如何にナンセンスであるかも、数字的根拠を示しながら議論した。今のお金持ちが企画している「宇宙旅行」など、単に地球の周りを巡ってくるだけで、地上で大型ジャットコースターに乗って遊ぶのと本質的な差はない。そんなことに莫大な資金と資源・エネルギーを浪費すべきでない、それらを地上でやるべきことに使うべきだと論じた。宇宙開発一般を全否定などしていない。愚かな浪費は止めろと言ったのだ。

しかし実は私が宇宙開発に批判的な理由は、それが本質的に軍事技術であるからなのだ。その点も書いた。ロケット開発とはミサイル開発の別名だし、実際に今飛んでいる人工衛星の結構な部分は「偵察衛星」である。今、世界各国が宇宙開発に熱心なのは、詰まるところ宇宙での戦争で優位に立つ方策を探るためである。そのことを隠して、夢だロマンだなどと騒ぎ立て、根拠の無い夢物語を信じさせるやり方が許せない。それを見越して書いているのだ。

私が書き、主張することの多くは、今の日本の主流的な考え・常識と異なるだろう。しかし私はしっかり調べ、考え抜いた末のことだけを書いているので、その正しさに自信がある。いずれ、事実がその正しさを証明するので、今の人間たちが分からなくても構わないと思っている。だからこそ、ネットの片隅にでも書き残しておく意味があるのだと思う。

つまらないコメントに一喜一憂するのは、精神の無駄遣いである。私がSNSを一切やらないのも、それが大きな理由である。実際、罵詈雑言が山のように飛んでくるSNSのために、精神状態がおかしくなっている人々を多く見た。世の中には、善意の人よりも悪意の人の方が数倍多いようだ。漫画「はだしのゲン」にも嫌な人間がたくさんいた。善意の人「朴さん」のような人はごく少数だった。あれが現実なのだ。