大晦日の弦楽四重奏のこと

コロナ渦になるまでは、毎年大晦日には東京文化会館小ホールで開かれる、ベートーヴェン弦楽四重奏曲演奏会を聴きに行っていた。3つの四重奏団が出演し、最初が7番から9番の「ラズモフスキー全曲」を弾き、次が12番と13番(大フーガは連続で弾かれる場合と個別で弾かれる場合がある)、最後の楽団が14番から16番を弾く。午後2時から始まって、終わるのは午後10時近い。帰る頃には、大ホールでやっているベートーヴェン交響曲全曲演奏会の、第8番が聞こえてくるのが通例だった。コロナ渦以後、行くのを控えているけれど。

3つの四重奏団は、担当する曲が1組ずつ移動して行く決まりのようで、3年経つと一回り、このプログラムの全曲が聴ける。私は大体3周り聴いたので、各楽団の個性というか特徴をほぼ掴めたと思う。弦楽四重奏に限らないが、生で聴くと個性がはっきりと分かるものだ。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲を午後から夜まで聴き続ける人たちはどんなかと言えば、私の見る限り、中年以後のオッサンで、何か一家言ありそうな男性が断然多い。まあ、無理もない。あれらの作品の良さを味わうには、ある程度の年季と修練が要るからだ。中には若い人たちも居るが、最後まで聞くことができず途中で帰ってしまう人も結構多い。

面白いのは、聴衆の反応の仕方で、演奏の出来不出来によって拍手の量が正確と言うか正直に出てしまうこと。さすが、皆さん良く聴いていらっしゃる。あれは、奏者たちにも伝わっていると思う。熱演の後は盛大な拍手が長く続き、奏者の皆さんも何か嬉しそうな晴れ晴れとした表情になる。あれは、音楽の歓びを実体で表すものだと、私は思う。

それにしても、ベートーヴェン弦楽四重奏曲は、何と名作揃いなことだろう。最初のラズモフスキー第1番の雄大な第1楽章、星空の下の瞑想のような第3楽章から軽快なフィナーレが魅力的だし、第2番は4楽章とも曲想がまるで違って、その多彩さに驚き、特に第2楽章は美しい。第3番はやはり終楽章の圧倒的な突進力に打たれる。ピアノソナタ23番「熱情」のフィナーレと双璧の、中期を代表する傑作だ。この3曲で、すでに「お腹いっぱい」になる感じ。実際、奏者の一人に聞くと、この3曲を一晩のコンサートでやることは普通はないらしい。エネルギーが持たないから、と彼女は言っていた。

次に来るのが、後期の12番から16番までの傑作揃いの数々。12番は、最初の2楽章が素晴らしいが、後の二つは多少尻すぼみの感じ。13番は私の大好きな曲だが、最後は「大フーガ」に限る。後でベートーヴェンが書いた第6楽章は、大フーガとは比べ物にならない。しかし奏者にとっては、この大フーガを連続でやる「原典版」は大変らしい。第5楽章カバティーナと大フーガの間に、5分くらいの間を空けないと辛いと上記の彼女は言っていた。これまた、エネルギーが持たないと。しかし、古典弦楽四重奏団は、13番は原典版をやる。しかも全曲暗譜で。

14番は全7楽章を切れ目無く演奏するので、奏者にとっては大変な曲だ。しかも内容が素晴らしい。ベートーヴェンの天才ぶりが最も発揮された曲の一つだろう。私はこの曲をよく聴く。

15番は少し地味な感じだが、目玉は第3楽章。非常に美しい。終楽章の雄大な旋律も聞き物。

16番は簡潔な短い作品だが密度は濃い。私はこの曲も大好きでよく聴く。どの楽章も良い。

こうして何時間も聴き続けると、さすがにぐったり疲れるが、ベートーヴェンの傑作群に囲まれて幸福な時間を過ごせたと、心から感謝の念が湧く。

本当は、10番「ハープ」と11番「セリオーソ」もやって欲しいくらいだ。この2曲は中期から後期への移行期にあるせいか、実験的な要素が感じられ、何を考えているのか分からない曲想などもあるが、ラズモフスキー(9番まで)から後期作品(12番以降)へは一足飛びでは行けないことを証するものだ。そうなると、開演は午後1時にしないと無理だし、4団体要るから大変だな。曲の配分も難しくなりそう。それやこれやで、今の形になったんだろう。

あの密室的空間に長時間居るのはまだ怖いので今年も行かないが、またいずれ通いたい。