音楽の愉しみ

私が日常的に聴く音楽は、西洋古典音楽とロック、特にヘビーメタルである。両者は対極的な位置にあるように見えるが、私にとっては共通性がある。それは、感傷性を排した音楽であること。センチメンタルな、お涙頂戴音楽は、避けて通る。単なる絶叫調も、ダメである。

故に、西洋古典音楽であっても、感傷性の強い音楽は好みでない。例えば、チャイコフスキー。世に彼の愛好者は多いようだが、私は全く評価しない。彼の交響曲第6番悲愴とマーラーの第九交響曲の、最後の楽章を聞き比べると良い。同じアダージョ楽章でありながら「精神のたたずまい」が、如何にかけ離れたものであるかが良く分かるはずだ。

私が好んで聴くのは、何と言ってもバッハとベートーヴェン、次いでブラームスブルックナーハイドンモーツアルトドビュッシーシューマンヘンデルなどである。他は、バロックから現代音楽まで、気が向いたものをたまには聴く。ロシア系は大抵好みに合わないが、ショスタコービッチだけは評価する。彼の晩年の作や遺作には、名曲がいくつかある。

聴く回数は、バッハとベートーヴェンが圧倒的に多い。バッハは作品数も多いが、どれもこれも名曲ばかりで、聞き飽きることがないから。彼の最高の作品は、マタイ受難曲ロ短調ミサ曲の二つだと思うが、前者はごくたまにしか聴かない。3時間もかかる大作であり、中身も凄すぎるので、よほど気合いを入れないと聴けない。この曲はライブで3回聴き、そのたびに心の底から感動させられた。それと比べると、ロ短調ミサ曲は結構よく聴いている。聴くたびにこの曲も、隅から隅まで名曲ぞろいだと感じさせられる。実に素晴らしい。

バッハ作品で日常的に聴いているのは、何と言っても平均律クラヴィア曲集だろう。全2巻、各巻24曲ずつの前奏曲とフーガ、つまり細かく見れば96曲の小曲集だが、どれ一つとして駄作はなく、素晴らしい名品ばかりである。世の中に多く知られているのは、第1巻の各曲だと思う。TVのドラマやCMのバックに、さりげなく流されていることがよくある。しかし、第2巻も負けず劣らすの名曲ぞろい。第2巻も、もっと聴かれるべきだと私は思う。

平均律の各曲で私が好きなのは、どちらの巻でも偶数番、つまり短調の曲だ。それも、4の倍数(4、8、12、16、24番など)が多い。どの曲も、言いようもなく美しい。繊細微妙、ほんの僅かな音の揺れが、何とも言えない複雑な味わいをもたらす。だから聞き飽きしない。

「音楽とは何か?」と聞かれたら、私は「平均律の各曲を聴きなさい」と答えるだろう。もちろん、バッハには平均律以外にもたくさんある。鍵盤作品だけでもイギリス組曲フランス組曲、パルティータなどの曲集があり、オルガン曲にも名作が多い。弦楽作品では何と言ってもヴァイオリンとチェロの無伴奏作品が際立ち、他に協奏曲系にも魅惑の作品群がある。

しかし、有名な「トッカータとフーガ」を、私は好まない。バッハの真作なのか疑っている。あんなケバケバしい、外面的な効果だけを狙った音楽を、バッハが作ったと思えない。あの曲は、私の中のバッハ像とは乖離している。ついでながら、有名な「イタリア協奏曲」も、バッハの息子年代以降の作品ではないかと疑っている。どうにも「バッハ臭く」ないのだ。