バッハの平均律クラヴィア曲集は、若い頃からずっと聴き続けてきた。最初に聞いたのはリヒテルの全曲版LPで、全6枚を少しずつ買い揃えて行った。当時の貧乏学生にとって、1枚2000円のLPは高価な買い物だったのだ。リヒテル盤は、豊かな響きで風格を感じさせる演奏だった。今はCDで聴く。今でも愛聴盤の一つだ。
ハープシコードでヴァルハやレオンハルトも聴いたが、ハープシコードの金属的な響きは性に合わず、主にピアノで聴き続けている。
その後、CD時代になってグルダ、グールド、シフの新旧盤、アファナシエフと聴き、各奏者の解釈が全然異なることに驚いた。グールド盤は世に名高いが、私は全曲版の演奏はあまり好んでいない。どこか、指が動きすぎるというか遊び過ぎというか、真面目に弾いていない気がするから。個別の曲では真面目に弾いている例もあり、それらは楽しんで聴く。
グルダとアファナシエフは曲によって弾き方が全然違い、両者の感受性の違いを見るようで面白い。シフ盤は若々しい旧盤よりも、後年の新盤の方が私の好みに合い、結構良く聴く。
全2巻で聴けないのが残念なのがM.ポリーニとD.ウゴルスカヤだ。ポリーニは第1巻しか録音していないが、どの曲も素晴らしい演奏だ。彼は超絶技巧の持ち主だが、平均律を弾くのに腕に任せてバリバリ弾くような無粋な真似はしない。静かに始まる曲の、さりげない音の歩みの繊細さを聴くが良い。彼は時々メロディを口ずさみながら弾くようで、演奏によっては彼の声が微かに聞こえて微笑ましい(第7番前奏曲など)。彼の第1巻は最も良く聴くCDの一つだろう。
ポリーニは、ドビュッシーの前奏曲は第1巻、第2巻ともに録音しているのに、なぜかバッハの平均律は第1巻しか出していない。生きている間に、ぜひ第2巻を出して貰いたいが・・。
D.ウゴルスカヤは最近知ったピアニストだが、彼女は第2巻しか出していない。そして46歳の若さで亡くなってしまったから、もはや新盤が出る可能性はない。なぜ第2巻から出したのか興味深い。彼女の演奏は、ゆっくり目の、たっぷりとピアノを響かせるような弾き方で、私は結構気に入っている。第2巻第1番前奏曲は私の大好きな曲だが、このゆったり感が良く合う。
また第5番フーガも心打たれる曲だが、たっぷりと響くピアノが心地よい。なんて良い曲だろう。偶数、特に4の倍数の曲たちや、大好きな第22番前奏曲とフーガ、それに最終24番の前奏曲とフーガなども素晴らしい。第24番は、第1巻と第2巻で対照的だ。第1巻は長大な、宇宙を経巡るような曲想だが、第2巻の最終曲は短く軽やかに終わる。短調なのになぜか明るさを感じさせ、その中に、バッハがワッハッハと哄笑しているように思える音型が現れる。これらも彼女はゆっくり目のテンポでしっかり響かせて弾く。彼女の第1巻も聴きたかった。