追悼 M. ポリーニ

前回、現存のピアニストとして紹介したばかりの、M. ポリーニが死んだ。一番好きな音楽家だったのでとても残念だ。42年生まれの82歳だから「天寿を全う」の部類に入るが、指揮者とピアニストは長命者が多いので、彼ももう少し長生きしてくれると思っていたのに。前回触れたように、彼は「純粋音楽家」の一人だった、恐らくは、最後の。一つの時代が、確かに終わったのだとの感慨を抱かざるを得ない。

彼を最初に聴いたのは、1974年の初来日時、コンサートをFMで放送してくれた時だ。当時の私は大学1年、京都の下宿で一人暮らしをしていた。曲目はベートーヴェンの「6つのバガテル作品126」とピアノソナタ第32番つまり最後のソナタだった。どちらも素晴らしい演奏で、いっぺんに引き込まれてしまった。その録音はダビングして、テープがすり切れるほど聴いたものだ。あれから50年目に、遂に訃報を聞くことになってしまった。

京都の下宿でFMから流れる彼の演奏を聴いて以来、50年間もCDが出るたびに買って彼を聴き続けてきたが、演奏で裏切られた思いをしたことは、ただの一度も無い。生演奏は一度だけ聴いた。東京文化会館のリサイタルで、前半のモーツアルトは幻想曲と14番ソナタを苦闘しながら弾き、後半のベートーヴェンピアノソナタ17番と21番を別人のように楽々軽々と弾きこなして見せた。あの対照ぶりは忘れられない。

彼のCDは出るたびに買っていたのでほとんど全部持っている。正式録音はほぼ全部ドイツグラモフォン盤だが、輸入盤の中に見なれないライブ録音のが入ってたりして、見つけると大喜びで買ったものだ。中には、海賊版もあったかも知れない。今後、追悼版で未発売の録音が出ることを期待する(まだ残っていると良いのだが・・?)。

彼の弾く作曲家は、何と言ってもベートーヴェンショパンが中心だった。この二人のCDは数多い。再録音も結構ある。あと、シューマンが割と好きだった。ブラームスはソロ作品はほぼ弾かず、その代わり協奏曲を偏愛した。3度も録音したのはブラームスのピアノ協奏曲の2曲のみで、他は2度までしか正式録音したことはない。他のロマン派ではシューベルトは、初期に「さすらい人幻想曲」と16番ソナタを出しているが、その後は晩年の作品のみ録音した。リストはロ短調ソナタなどCD1枚分のみ。他には全く関心を示していない。

フランスものはドビュッシーのみを弾き、ロシア系はプロコフィエフとストラビンスキーが1曲ずつあるだけで、他はない。チャイコフスキーなどは見向きもしなかった。

あと、ポリーニは現代音楽作品の名手でもあり、バルトークシェーンベルクウェーベルン、ベルクなどの録音がある。ただし私には、ノーノやブーレーズの作品を聴いても、その良さを理解したとは言いがたい。現代作品で何らかの「美」を感じたのはウェーベルンの「ピアノのための変奏曲 作品27」だけである。あの曲は、ベートーヴェンピアノソナタ第29番第4楽章の、骨ガラだけ取り出したエキスみたいに聞こえるからだ。

古典派ではモーツアルトを割と好んだが、主に協奏曲ばかり弾き、ソロ作品はあまり弾かなかった。バッハは平均律第1巻しか録音せず、遂に第2巻を聴けなかったのが残念だ。彼はハイドンは1度も弾いたことがないと思う。こうしてみると、ポリーニの好みは案外広汎とは言い難く、親しかったカルロス・クライバーのように、特定の作曲家・作品を偏愛するタイプだったかも知れない。

彼は、人間としても素晴らしかった。18歳でショパンコンクールを断トツの1位優勝したのに、自分にはまだ学ぶことがあると言って、その後10年間も研鑽してからデビューした。同じコンクールで何とか2位になったら「今後は後進を指導して優勝者を出したい」などと、さっさと指導者面するような日本人ピアニストとは出来が違う。彼はインタビューでも慎重かつ誠実に言葉を選び、偉そうに振る舞うことは決してなかった。カネにも名声にも無頓着で、音楽一筋の人生だった。また彼は、自分の演奏会チケットが高騰するのを悲しみ、青少年向け限定のリサイタルを開いたことがある。

10年間の沈黙期の間には、貧しい人々のために場末の小屋でピアノを弾いたこともあったとか。彼は盟友アッバードや、共産党員だった作曲家ノーノとも親しく、常に弱い立場の人々への想いを忘れなかった。カネと名声が大好きな俗物音楽家は好まなかった。実際、カラヤンには何度も共演を持ちかけれても中々応じず、一度だけ共演したことがある一方、カール・ベームとは何度も共演し、CDも数枚残している(モーツアルトベートーヴェンのピアノ協奏曲)。また、ベームが亡くなったときは、リサイタルの最初にモーツアルトの「アダージョロ短調K.540」を弾いて追悼しているが、カラヤンの時は何か弾いたとの記録は残っていない。彼がどちらを敬愛していたか、明らかだ。そう言う意味で、彼は自分の好みを正直に出すタイプだった。

彼は死んでしまったが、CDやライブ録音は多数残っているから、彼の演奏は今後も長く聴き継がれて行くはずだ。偉大な音楽家は、長く忘れられずに生き残る。