音楽談義 続き

ハイドン弦楽四重奏曲に作品74-3「騎士」というのがある。作品74「第2アポニー四重奏曲」全3曲の最後を飾る名曲だ。その第4楽章の冒頭部は、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第4番の出だしとソックリである。両者を聞き比べたら瞭然だ。ただし話は逆で、弟子のベートーヴェンがお師匠の作品をパクったと言うのが正しい。お行儀の良い言い方なら、本歌取りと言っても良いが。

もちろん、両者は完全に同じ音楽ではなく個性の違いは出ている。ハイドンはいつもながら軽快な曲の運びだが、弟子の方は例の「ハ短調」で、悲壮感というか切迫感のある音楽になっている。ベートーヴェンの初期弦楽四重奏曲は6曲あり、どれも駄作ではないが第7番以降の傑作群と比べれば聞き劣りすることは否めない。その中でこの第4番は最も聴き応えがする作品だ。私も、初期6曲の中では最も聴く回数が多い。実は、私はこの第4番を好んで聴いていたため、後でハイドンの「騎士」を聴いて、ビックリ仰天したのだった。

ベートーヴェンは、他人の作品から楽想を得ることが多かった。晩年の大作「ハンマークラヴィーア」終楽章のフーガは、バッハの平均律の1曲を参考にしたのではないかという話は以前に書いたが、他にも例には事欠かない。例えば後期の傑作の一つ、弦楽四重奏曲第14番の冒頭は、モーツアルトの第19番「不協和音」の出だしを参考にしたとしか思えない。私はこのどちらかを聴くたびに、もう片方を思い浮かべずには過ごせない。さらに、この弦楽四重奏曲第14番は、後にバルトークの第1番に残影を残すことになる。

ピアノ作品でも、ディアベリ変奏曲はバッハのゴルドベルク変奏曲を意識したに違いないし、その中にモーツアルトの「ドンジョバンニ」からの引用があるのには笑える。耳が聞こえなかったはずのベートーヴェンモーツアルトの歌劇作品まで知っていたとは。

モーツアルト弦楽四重奏曲は全部で23曲あるが、まともに「弦楽四重奏曲」と言えるのは第14番以降だろう。第14番から第19番までの6曲は「ハイドン・セット」と呼ばれ、いずれも大変な名作揃いの曲集だ。私は彼の弦楽四重奏曲ではこの曲集の6曲が最高だと思う。後の20番と21~23番は、後期の名品とされるが、ハイドン・セットと比べると、私にはどこか密度のやや下がった音楽に聞こえてしまう。実際にはこの4曲、よく聴くと佳曲ばかりなのだが。それ程までに、この曲集の完成度は高い。

私は「ハイドン・セット」のどの曲も好きだ。溌剌とした14番の終楽章の見事なフーガ、唯一の短調曲である15番の深々とした叙情性、不思議な雰囲気を醸す16番、「狩り」の名がつく爽やかな17番など。しかし私が一番好きなのは、第18番である。長調なのに、どこか寂しげな、野原で寒風にさらされながら立っているような風情を感じさせる曲だ。4楽章のどれも、似た雰囲気なのも一つの特徴。普通は、楽章ごとにスケルツォアダージョのように、性格を変えるのが通例なので。モーツアルトは、何を考えてこんな寂しげな曲を書いたんだろうと不思議な気がするが、曲としては最も心惹かれるのである。ちなみに、ベートーヴェンも「ハイドン・セット」の中でこの18番を最も好んだと伝えられている。私にはかなり意外だ。この曲は、彼の作風から最も遠いように思えるから。自分には書けそうもない作品だから好んだのかな・・?

そして、最後の第19番「不協和音」。冒頭の序奏が、異様な緊張感を孕んだ静かな不協和音が続くので、この名がついている。確かに、何度聴いても凄い音の連なりだ。ほとんど現代音楽の世界。どうやったら、あの当時、こんな曲が発想できるのやら・・。しかしこの後は、いつものモーツアルトに戻って(?)、快活明朗な音楽になる。実は私は、この序奏の後の音楽にはあまり魅力を感じていない。最初が凄すぎるからだ。

現代音楽を思わせる響きは、バッハのゴルドベルク変奏曲の中にもある。2つの変奏で、バッハの時代とは思えないような斬新な響きを聴く箇所がある。

結局、バッハ・モーツアルトベートーヴェンの3人は、時代を超えて現代においても斬新に聞こえる音楽を生み出した。彼らの作品ほど「クラシック」の名が似合うものはない。なぜなら「クラシック」とは、古色蒼然ではなく、時間が経っても古くならない、と言う意味だから。