ジョージ・セルのこと

指揮者ジョージ・セルを知る人は、もはや少ないと思う。1970年の大阪万博で演奏するため5月に来日し、数々の名演奏を残して帰国後の7月に亡くなった。つまり50年以上も前に没した指揮者である。

70年の来日時にベートーヴェン交響曲第3番「英雄」を聴いた吉田秀和は「これまでに聴いた「英雄」の、最高の演奏に属する」と絶賛している。70年来日時のライブ録音はいくつかCD化されているが、この演奏のCDは今のところ見当たらない。いつか発掘されることを期待する。70年東京ライブでCD化されているのは、モーツアルト40番以外には、ベルリオーズウェーバーシベリウスなどの小曲しかない。その時に彼は8回演奏したそうなので、まだ音源は残っているはずだ。

セルの演奏は、どんな楽団を指揮しても、アンサンブルが綺麗に揃いリズムの歯切れが良く、曲をキビキビと運ぶので分かる。彼の演奏を「完璧だが冷たい、機械的だ」と表する向きもあるが、私はそうは思わない。楽譜に忠実に、正確な演奏を心掛けているだけだ。

しかも彼の場合、キビキビと曲を運ぶが、決してセカセカした印象は与えない。休止符の「間」をしっかり取り、テンポはあまり動かさないが緩急はちゃんとつけているからだ。例えばベートーヴェン交響曲を聞き比べると、カラヤンやアッバードのベルリンフィル盤は、私には速すぎてついて行けない。なぜあんなテンポ設定にするのか、納得できないのだ。速けりゃ良いのか?(なおアッバードのウィーンフィル盤でのテンポ設定は納得できる。)

一方、セルの場合、やや早めのテンポでキビキビと運ぶが、決して速すぎるとの印象を与えない。しっかりと間を取り、作曲者の意図を十分に音化しているからだと思う。魅力的な凛とした響きが特徴なのだ。

その後種々のベートーヴェン交響曲全集を聴いたが、私の中のスタンダードは、スタイルは違うがセル・クリ-ブランドとベームウィーンフィルだ。クレンペラーのも立派だが。

彼の演奏スタイルが活きるのは、当然ながらハイドンモーツアルトベートーヴェンなど(古典派)である。これらの演奏はいずれも私の愛聴盤である。いつ聴いても心地よい。例えばモーツアルト交響曲第39番での音の透明感など、素晴らしくていつも聞き惚れる。

しかし一方、彼はブラームスブルックナーワーグナーなど(ロマン派)も上手かった。ブラームスは、スタジオ録音も悪くないが、交響曲第2番と第4番のライブ演奏は、これらの曲の最高の1枚に属すると思う。ライブで実力を発揮する音楽家は本物だ。スタジオ録音で後から「傷」を直すのとはわけが違う。

ブルックナーでは、彼は3番、7番、8番を録音しているが、他はない。ブルックナー交響曲第3番は少し風変わりな曲だが、セルは結構好きだったようだ。他の指揮者は全集以外にこの曲の録音例が少ないので、彼の例は目立つ。なお第8番は2回録音している。しかしなぜか、最高傑作と言って良い第9番の録音がない。演奏したとの記録もないようだ。この点が、私には謎だ。

ブルックナーについては別に書くつもりだが、彼の交響曲第9番がないのが不思議な指揮者として、セルとカール・ベームを挙げる。ベームは4番に名盤があり、他に3番、5番、7番、8番等を録音しているが、9番はない。9番は山ほどの指揮者で聴いたが、セルとベームの演奏でも聴いてみたかった。その点は心残りだ。

セルに戻ると、彼と手兵クリーブランド管弦楽団の凄さが良く分かるのは、例えばバルトーク管弦楽のための協奏曲、通称「オケコン」である。特にその終楽章が難しそうだ。私はこれを5種類のCDで聞き比べしたことがある。カラヤンベルリンフィル盤は確かに巧いが、髪振り乱して大汗をかき、終わってからもゼーゼー肩で息をしているような印象だ。片やセル盤では、異常に速いのにオケの呼吸がピタリと合い、各パートが一つの楽器で鳴っているような気がする。高速を走るベンツが速度と共に重心が低くなって、ピタリと動かなくなるように見える、みたいな。恐ろしく難しい曲を超高速で弾いているのに、その難しさ困難さを殆ど感じさせないと言う奇跡。これに近い演奏は、録音が古いフリッツ・ライナー指揮、シカゴ響の盤だった。当時のシカゴ響のレベルの高さが偲ばれる演奏だ。あと、ショルティとラインスドルフの演奏も悪くはなかったが、セルと比べたら見劣りする。それほどセルの演奏は際立っていた。

セルはマーラーも演奏しているが、6番、9番、10番と、声楽がない曲だけを選んでいる。6番は私はショルティ・シカゴ響の演奏を好んでいるせいか、セルやアッバード・ベルリンフィル盤は少しテンポが遅い気がする。しかし、こちらが楽譜に忠実なのかも知れない。

私の中でジョージ・セルは、お金も名声も栄誉も何も求めず、ひたすら音楽だけに身を捧げた純粋音楽家の、数少ない例だ。彼やクレンペラームラヴィンスキーなどがその類に属する。現存者ではピアノのマウリツィオ・ポリーニも多分そうだと思う。彼らと比べると、カラヤンとか彼の弟子の、最近亡くなった日本の「世界的指揮者」などは、まだまだ俗っぽいんだよなあ。お金やマスコミ名声が大好きで。