寒い日には・・モーツアルトの短調作品を

20日から大寒に入り、さすがに昨日あたりから寒くなった。全国的に、強い寒波に覆われている。米国でも全土で強い寒波に襲われ、結構な数の死者が出ている。北極圏から中緯度にかけて強い寒気団が居座っていて、これが少し出入りするだけで日本列島は震え上がったり、季節外れの暖かさになったりするのだ。この寒さも今日が山場で、明日以降は和らぐとの予報だし。

京都の学生時代に、私に西洋古典音楽を教えてくれた友人が「寒い日にはモーツアルトのヴァイオリン・ソナタが良く合うんやでぇ。特にホ短調のやつやなあ。」と言って教えてくれた。これはK.304の作品で、私も聴いてたちまち大好きになった。最初は、グリュミオーハスキルの名盤で聴いた。

モーツアルトのヴァイオリン・ソナタはたくさんあって、番号のついているものだけで36番まである(偽作を除く真作のみ)。その中で短調の作品は第21番ホ短調K.304の1曲しかない。他は全部長調作品である。

このK.304のソナタ、2楽章しかない短い曲だが、強い印象を残す。第1楽章はやや不気味な雰囲気で始まり、悲愴で憂鬱な重々しい感じで進む。次の第2楽章が、出だしから美しくも切ないメロディで泣かせるが、次に出てくる第2主題がまた可憐というか何というか、涙腺を刺激するメロディだ。寒い日には、私は決まってこの曲をかけてしまう。グリュミオーハスキルは無論良いが、録音の新しいデュメイ・ピリスの盤も私は好きである。ヴァイオリン・ソナタではあるが、ピリスのピアノが実に良くて聞き惚れる。彼女のモーツアルトピアノソナタ全集も無論良い。新旧2種あるが、この頃良く聴くのは、後のDG盤である。

モーツアルトの作品では、私の好きな曲には短調作品が多い。K.304もその例だが、ピアノソナタでは18番までのうち、短調は第8番イ短調K.310と第14番ハ短調K.457の2曲だけである。この2曲とも、異常な迫力があって私は好きである。ただし後者は「幻想曲」と呼ばれる1曲と、3楽章からなるソナタが共にK.457でまとめられているので、少し紛らわしい。「幻想曲」だけでも12分もかかる大曲なので聴き応えはある。劇的な展開が、聴かせる。ソナタの3つの楽章は、その続きとも聞こえるほど雰囲気が似ている。いずれにせよ、彼のピアノソナタ中の白眉と言って良い。ただしピアノソナタの最高傑作は、最後の2曲である。

その他、短調のピアノ作品としてロンド イ短調K.511とアダージョ ロ短調K.540があり、両曲とも大変な傑作である。私は特にアダージョ ロ短調が好きで良く聴いた。指揮者のカール・ベームが亡くなった時、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが追悼のためにこの曲をリサイタル冒頭で弾いた場面が印象に残っている。そう、この曲は元々、葬送用の音楽だったようなのだ。何とも深く悲しい音楽である。音楽でこれほどの表現が出来てしまうとは・・。

モーツアルトの教会ソナタ、ディヴェルティメントには短調作品は一つもない。セレナードは全13曲中、短調は1曲のみ。室内楽ではピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478とピアノ三重奏曲ニ短調K.254の断片のみ。弦楽四重奏曲では23番まであるうち、短調は例の「ハイドン・セット」第2番の第15番ニ短調K.421と、第13番ニ短調K.173しかないが、内容的には前者が圧倒的に優れている。私は「ハイドン・セット」で一番好きなのは以前にも書いたように第18番イ長調K.464だが、次に好きなのはこの第15番である。

弦楽五重奏曲は6曲あって、短調は第2番K.406(これは管楽セレナードK.388の編曲)と第4番ト短調K.516の2曲だが、これは後者が断然優れた傑作だ。弦楽五重奏曲第3~6番の4曲は、モーツアルト晩年の最高傑作の一つと言って良いと思う。私はどの曲も好きだが、特にこのト短調K.516は凄いと思う。モーツアルト短調と言えば「ト短調」と言われるだけのことはある。もっとも、これは有名な交響曲第40番ト短調から来ているのだけれど。

彼のヴァイオリン協奏曲、協奏交響曲、複数ソロによる協奏曲には、短調作品は一つもないが、ピアノ協奏曲には全27曲のうち第20番ニ短調K.466と第24番ハ短調K.491の2曲があり、共に大傑作と言って良い。私は前者を特に好んで聴く。演奏で一番好きなのは、グルダ独奏、アバド指揮のウィーンフィル盤である。この程度の「辛口」の演奏が良い。アシュケナージ内田光子の演奏は、私には情緒的すぎて、少し胸焼けがする。24番はあまりに暗くて、なかなか聴く気になれないが、名曲であることは確かだ。20番は、冒頭から異様な迫力で惹きつけられる。第2楽章は子守歌みたいなロマンス、最後の第27番を連想させる曲だ。第3楽章は打って変わって快活なロンド、アレグロ・アッサイ。しかし雰囲気は切迫的で、第1楽章に似ている。当時の習慣ゆえに、長調の快活なマーチで締めくくってはいるけれど、この曲の全体的な印象は、やはり第1楽章に支配されていると感じる。

交響曲は全41曲中、短調は第25番K.183と第40番K.550の2曲のみ、しかも両方ともト短調である。中身的には、当然ながら後者が断然優れている。この曲は小林秀雄が評論で取り上げたせいか、少し文学的・情緒的に捉えられているような気がする。どうかすると「ああ、ト短調・・」みたいな。小林が「悲しみは、追いつけない」なんて書いたせいだ。しかしこの曲は、もっと純粋音楽として愉しむ方が良い。この曲も数多くの演奏者で聴いたが、印象に残るのは、フルトヴェングラーの古びた録音だ。非常に早いテンポで、訴える力が凄い。小林が聴いたのはこの演奏だったのかも知れないと思わせるほどデモーニッシュだ。他は大半、もっと優雅な「ト短調」。私は優しい40番も好きだが。

交響曲に関しては、ベストはやはり第41番ハ長調K.551だと思う。「ジュピター」と呼ばれるだけのことはある、堂々たる傑作だ。この曲では、クレンペラーの1964年の演奏が一番好きだ。特に終楽章、静かに始まって、曲が進むにつれ次第に熱を帯びてくる様が素晴らしい。聴いているうちに何か身体が熱くなってくるような感じ。カール・ベームの新旧演奏も十分に立派だが、今はクレンペラー盤を愉しんでいる。