日航ジャンボ機墜落事件のこと

1985年8月に起きた日航123便ジャンボ機墜落事件については、昨日のことのように覚えている。この年は、1月に娘が生まれ、4月には転勤して新しい職場に異動と、私の人生においても一大転換期だったので、特に印象の強い年なのだ。

墜落は夕方7時頃のNHKニュースで、レーダー上の機影が消えたとの第1報があり、その後、山中に火が見えるとの情報があったにも拘わらず、墜落現場情報が二転三転してその夜のうちに定まらず、翌朝やっと確定されて、何だか変だと思ったことが記憶に残っている。

その後、事故報告書なども出て、一応解決したものと思っていたが、青山透子氏の「日航123便墜落 疑惑のはじまり:天空への星たちへ」を読んで、その時に感じた違和感を思い出した。

そして、それから興味をもって同氏の本が出るたびに読んだ。「日航123便 墜落の新事実:目撃証言から真相に迫る」、「日航123便墜落 遺物は真相を語る」、「日航123便 圧力隔壁説をくつがえす」と読んで、当初感じていた違和感は、完全に疑惑への確信へと変わった。あの墜落は、単に圧力隔壁が壊れて尾翼が吹き飛んだ、などという単純な原因で起きたとは、とても考えられない。その後「日航123便 墜落の波紋:そして法廷へ」で、事態は新しい展開に入ったことを知る。

青山氏の本に触発されて、この墜落関係の書籍を結構たくさん読んだ。事故報告書を擁護する内容の本なども含めて。事故報告書を鵜呑みしただけの、愚かしい内容の本もあった。その中で最も衝撃的だったのは、遺族の一人小田周二氏の一連の著作だった。最初に読んだのは「524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎」という本で、2017年初版発行だが、私が読んだのは21年2月である。この本に衝撃を受けて、より詳しい「日航機墜落事故 真実と真相」を読んだ。実はこの本の方が発行年は早い(2015年3月初版発行)。459頁の大冊だが、読むと記述に繰り返しが多く、少し疲れる。それで恐らく、より簡潔な前者を出したのだと思う。その後同氏は「永遠に許されざる者 日航123便ミサイル撃墜事件及び乗客殺戮隠蔽事件の全貌解明報告」という本を21年7月に出している。これは大判で414頁の、非常に詳細な記述であり、著者のほとんど執念とも言える調査・推論の数々は、読む者を圧倒する。この方の推論は非常に理系的で緻密である。それは恐らく、同氏が大阪大学工学部卒の技術者で、物理・化学的な論理的思考を扱い慣れておられていたからだと思う。

それで、推論は緻密で説得力はあるのだが、内容があまりにショッキングなためか、マスコミで話題になったことはない。いや、私の推測では、あまりにも説得力が強すぎるので、国交省日航関係者が全力で、この本や小田氏の存在を目立たせないようにしているのではないかと思う。あまりにも「不都合な真実」なのだろう。

青山氏はネット上に関連サイトを二つ開設している。「青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相」(https://tenku123.hateblo.jp/)と、「日航123便 墜落の真相を明らかにする会」(https://jalflight123.wixsite.com/mysite)の二つである。従って青山氏に関しては、ある程度世の中に知られている。それだけに、活動への妨害や誹謗中傷、著作の図書館からの消失なども起きている。墜落の真相を解明しようとすると、それ程の露骨なまでの妨害を受けると言うことは、裏返せば真相を解明されるとよほどマズイことがあるのでは?と確信させてくれる。これは、何としても応援せずにはいられない。

日航機墜落で亡くなった乗客の遺族が、日航を相手に各種生データの開示を求めた訴訟が、最高裁まで進んでいる。その過程を詳しく記したのが青山透子「日航123便墜落事件 JAL裁判」であるが、これを読むと、およそ法治国家とは思えない裁判所の態度に驚かされる。何しろ、判決直前に担当裁判官3名のうち2名が交代するなどという事態が起きたのだから。そして、原告側は多数の書類証拠を出しているのに被告側のJALはほとんど何も出さず、弁論にもろくに応じていないにも拘わらず、判決は原告敗訴になったのだ。もっと多くのマスコミが報じていたら、こんなバカバカしい結末にはならなかったのではないか?そう思うのは、袴田事件が世論の後押しを得て再審にまでこぎ着けた例などを見ているからだ。裁判所の判断は、どうやら論理だけでは決まらない。世論の動向は判決に相当影響する。だから、マスコミの役割は重大なのだ。