ショパンの作品、その他あれこれ

今月1日に、アリス・紗良=オットのピアノリサイタルを聴いてきた。ショパンの「24の前奏曲」を中心に、幾つかの現代音楽作品を混ぜて、やや抽象的な画面映像を重ねながら休みなしに70分ほどを弾き続ける管楽会だった。

コロナ渦以来、久し振りに生演奏に接して楽しかったが、心から楽しんだかと言えば、そうでもない。まず、音楽と同時に映写される映像の意味が、どうにも判らない。音楽に集中しようとすると、どうしても映像への注意が逸れる。その間に映像は移り変わって行き、追いかけるのが難しくなるし、音楽と映像がどう関係するのかも、私には理解できないので、どこかもどかしい。

本人の説明によると、コロナ渦の間に、ある建築家と知り合い、彼との対話の中でこのようなイメージが出来上がったのだそうだが、確かに建物の映像らしいイメージは多かった。途中、ものすごい数の本が並んだ棚の映像が続いたが、これも意味は全然分からない。

演奏は、現代曲の選択に彼女のセンスの良さを感じた。いわゆる「現代音楽」にありがちな、単に刺激的で無機的な響きはほとんどなく、ショパン作品の間に演奏されても、ほとんど違和感はなかった。特に、最初に弾かれた曲には美しさを感じた。

しかしこのリサイタルの中心は、やはり「24の前奏曲」である。この曲は長年聴き慣れているので、ややシビアに聴いたと思う。その感想としては、元気は良いが、少しタッチが荒いなあ・・と言うものだった。音量は十二分に大きく、ピアノを良く鳴らしているのだが、大音量で響きが少し濁る感じ。打鍵の問題かも知れない。私の考えでは、とにかくこの曲は、音量より繊細さが求められるはずなので、繊細な音作りが欲しかったのだ。

西洋古典音楽を聴き始めて、初期の頃はやはりメロディの綺麗なロマン派に惹かれて聴いていた。特に好きだったのはショパンシューマンだった。ブラームス交響曲室内楽は好きだったが、ピアノ作品はあまり好んでいなかった。彼の晩年の間奏曲の良さを感じるようになったのは、中年以降である。その頃には、シューベルトのピアノ作品も、私の好みに入ってきたのだが。

ショパンの作品数は多いが、彼の全作品の中で、私が最も好んで多く聴いてきたのは「24の前奏曲」だった。この曲集はもちろん、バッハの平均律を意識して、その前奏曲だけを書いたものだ。ただしバッハのそれとは違って、非常に短い曲もあり、前奏集集としてまとめて弾かれる事が多いし、聴く方もそのつもりで聴く。だから、例えばリヒテルの演奏会などで個別の曲が順不同で弾かれると、印象がまるで違って面食らったこともある。

ショパンで良く聴いたのは前奏曲集の他にエチュードソナタスケルツォ、バラード、ポロネーズなどである。マズルカには彼の天才ぶりが良く表れていると思うが、どこか同じ節を思わせる楽節が多くて、数多く聴いていると飽きてくる。ワルツやノクターンも同様で、各々全曲集を持っているが、通して全曲聴けたためしはない。特にノクターンは眠くなる。

ショパン弾きとして有名なのはホロヴィッツルービンシュタインで、無論彼らの演奏は超一級品だが、私が演奏家で好んで聴いたのは、ポリーニアシュケナージ、それにピリスである。彼らは何と言っても打鍵が完璧なので音の純度が高く、技巧的にも全く不足はなく、いや、彼らにとって演奏上の技巧など問題にはならず、楽譜に書かれた音楽を如何にして実際の音として表現するかだけに専心しているように思える。彼らの生演奏を聴いても、そう思う。実際のリサイタルでの演奏曲は、ショパン作品とは限らなかったけれども。

この3人の演奏と比べると、アリスはやはり少し若いかもなあ・・。ポリーニは「24の前奏曲」を1972年に録音して、私は長い間この演奏で愉しんできた。そして彼は2012年にこの曲を再録音している。彼は再録の少ない演奏家の一人だと思うが、70歳を過ぎてからショパンを幾つか再録している。そして、それらは、いずれも素晴らしい演奏だ。「24の前奏曲」も、この2012年盤の方が、ずっと良い。音が柔らかく、演奏に余裕が感じられ、彼がショパンを愉しみながら弾いているように感じられる。むろん、技巧的な衰えなどは全く感じられない。

彼はこの他に、2017年に作品59ー64、2019年に作品55ー58と言う、ショパン最晩年の作品をまとめて録音しているが、この2枚も見事な演奏だ。彼は、やはりショパンが好きなんだなと実感させられる。この2枚は私は何度も聴き、今でも折に触れて聴く。ロマン派には少し飽きが来ていて、バッハ、モーツアルトベートーヴェンハイドンヘンデルなどの作品に好みが傾きがちな最近ではあるが、この2枚だけは手放せない。

ショパンの晩年の作品には傑作が多いことを、この2枚は教えてくれる。特に「幻想」ポロネーズとして知られる作品61は、複雑繊細な、簡単には理解できない難曲だ。他のポロネーズたちとは全然別の世界を形成している。この曲も、ポリーニは実に見事に弾く。

ワルツ第7番作品64-2など、ことに有名で通俗名曲みたいだが、良い曲だよなあ・・。終わりに弾かれているワルツ第9番作品69-1、ショパンの最も遅い時期の作品だけあって、複雑で少し苦味さえ感じさせる。たった2分の曲だが、実に深い味わい。