ブルックナーのこと

アントン・ブルックナーの作品、と言っても私は交響曲以外ほとんど知らないのだが、私はその数少ないブルックナー作品に、若い時分から心を惹かれていた。

最初のきっかけは、不眠症対策だった。京都の学生時代、あれこれ悩みも多くて眠れない日が続くので、西洋古典音楽に詳しい友人に「よく眠れる音楽作品はないか」尋ねた。彼の答えは「ブルックナーでも聴いてみたら?」であった。研究室にクラシック好きな助手の先生がいて「あれはダルイでぇ・・」と勧めて(?)くれた。それやこれやで、ブルックナーのLPを聴くことになった。ちなみに、その助手先生はモーツアルトが好きで、特にクララ・ハスキルを好んでいらした。その後、私もヴァイオリニストのグリュミオーハスキルのコンビを好んで聴くことになる。

当時私は、下宿で音楽を聴く際に、スピーカーは置けなかったのでヘッドホンで聴いていた。それで、夜寝るときにヘッドホンを装着し、ブルックナーのLPをかけて眠りに就くことにした。借りてきたLPは、交響曲第9番ニ短調カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏だった。今思えば、カラヤンの旧盤だったことになる。

さて、音楽は静かに始まった。遠くでホルンが鳴っているみたいだな・・。それから音楽はずんずん盛り上がり、一旦静かになり、再び盛り上がって、最初のクライマックスに達する。ティンパニーがカッコイイ。おおっ、なかなか良いじゃん・・。それから静かな中で弦のピッツイカートが響いて行く。それから、美しい第2主題が流れ出した。何だ、全然ダルくないぞ、思ったより聞けるなあ・・と思いつつ、心地よく眠りに就いたのだった。後ろの第2、第3楽章は聞いた覚えがない。きっと寝てしまったんだろう。

それから今度は、真面目に(?)ブルックナーを聴くことにした。彼の交響曲は9番まであるので、どれから聴くべきか、くだんの友人に尋ねたら、まずはポピュラーな第4番「ロマンティック」から聴いては?と薦められた。それで4番を聴いたみた。

まあ悪くはないが、ちょっと退屈するなあ・・と言うのが最初の印象。その後、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルの名盤(レコードアカデミー賞を受けた)で聴いて、その評価は少し上がったが、その後に全集を聴いても、私の中で4番の順位はさほど上がらなかった。彼の作品には、4番よりも私を魅了する作品が多かったからだ。

ブルックナー作品の最高作は、交響曲の第7番から第9番までの後期3作品だとされる。私もそう思う。ただしこの3作は性格がずいぶん異なっている。

交響曲第7番は、全曲を通して非常に美しい点に特徴がある。第1楽章冒頭から魅力的な旋律が流れる。ブルックナーを初めて聴く人は、この曲から始めるのが良いと思う。第2楽章は美しいアダージョ。挽歌なのだが、悲しみよりは荘厳さで魅了する感じ。この曲の楽譜には大きく2種類あって、クライマックス時にシンバルが派手にジャーンと鳴る版と鳴らない版がある。大半の指揮者はシンバルが鳴る版を使っているが、ギュンター・ワントは常に鳴らない版を使っていた。それでも、聴いた印象はすごく重みがあって、私は大いに惹かれたのだった。

彼はオイゲン・ヨッフムと並んで、ブルックナーの専門家として知られていた。私は彼がN響を振って第8番を演奏する場に立ち会ったことがあるが、残念ながら大きな感銘は受けなかった。第8番ならばオイゲン・ヨッフム指揮バンベルク響のライブを聴いて鳥肌が立つほど感動したし、N響の同じ曲ならば、マタチッチが振った時のライブが素晴らしかった。N響から、あんな響きを引き出せるのはマタチッチくらいしかいないだろう。

その第8番は、長いこと私の中でブルックナーの一番好きな曲だった。全4楽章で80数分かかる大曲だ。コンサートでは、この1曲だけ、と言う例が多い。弾く方も聴く方も、結構な体力を要する。ただし私は、この曲が長たらしいと思ったことは一度も無い。全曲通して、聞き所がたくさんあるからだ。特に好きなのは第3楽章アダージョ。普通の速度で27分くらいかかる長大な楽章だが、最初から最後まで、ただただ美しい。聞き惚れているうちに終わってしまう感じ。続く第4楽章は軍楽隊みたいな音楽で始まるが、その後美しい第2主題が現れ、あれこれと展開する。この楽章はハース版とノヴァーク版の差異が目立つ。多くの指揮者は後者を使うが、私は省略のないハース版を好む。あの、ヴァイオリン独奏のある部分が好きなのだ。その点では、カラヤンが大抵ハース版を使っていた点を評価する。

私は第8番が長いこと好きだったのだが、次第に第9番の方に心惹かれるようになった。この曲は第3楽章まで完成し、第4楽章を作曲中にブルックナーが亡くなってしまったので未完の作品である。作曲者は、第4楽章の代わりにテ・デウムと言う声楽つきの楽曲を演奏するよう遺言したそうだが、実際に演奏される機会はほぼ無い。第4楽章を復元して演奏した盤もあるが、私はあまり良いとは思わなかった。この曲は、第3楽章のまま終わるのが似合っている。そう言う内容の曲だと思うのだ。

その第3楽章アダージョは、何と素晴らしい音楽だろう。私はこの曲を何度聴いたか数えられないほどだが、いつ聴いても心打たれずにはいられない。バッハや後期ベートーヴェンの作品と並べて置けるのは、こうした曲だけではないだろうか・・?

深いため息のような動機で始まるこの楽章の魅力は語り尽くせないが、種々の長い変奏を経た末に、次第に破局を予感させる同音の続く動機が各パートに増えてきて、最後に地獄のような破滅の音楽が鳴る。聴き始めの頃、私はこの部分が辛くてかなわなかったが、この曲がその部分では終わらず、次に平和と安寧を感じさせるフルート独奏とホルンの響きのうちに終わることで、その意味を理解したように思った。あの、最後の部分の美しさは言葉では言い表し難い。

この曲については、指揮者・演奏論に関しても語りたいことがあり、他の曲にも触れたいので、後日ブルックナーについて、また語ることにしよう。