海も暮れきる

吉村昭「海も暮れきる」を読み終えた。吉村作品はいつも面白くて一気に読むのが普通だが、今回は途中読むのが辛くて止めそうになった。こんな状態になったのは、彼の作品としては「冷い夏、熱い夏」以来だろう。この作品では、彼の弟がガンになり、それを隠して看病する兄と、ガンを疑う弟との葛藤が描かれていて、死期が近づいてからの苦しみの描写などが迫真的すぎて、読むのが辛かったのだ。

今回の「海も暮れきる」は、俳人尾崎放哉が小豆島にたどり着いて亡くなるまでの8ヶ月を描いた作品だが、これも亡くなる直前の描写は凄惨なほどで、人間は死ぬまでにこんなに苦しまねばならぬのかと、あれこれ考えさせられたのだった。この件は、以前に書いた「安楽死」の問題とも繋がっている。実際、作者の吉村昭も、膵臓ガンの末期になって、自ら点滴の管を抜いて旅立ったと言うから、これも一種の「自ら選んだ死」に属するはずだ。彼のこの選択を、誰が責めることができよう。人間には自らの最期を選ぶ権利があるのだ、と言うのが私の確信だ。

さて、主人公の尾崎放哉と言う人、数々の自由律俳句で知られる天才的な俳人だが、性格的にはかなり癖のある人物だったようだ。鳥取の田舎から東京帝国大学法学部に進み、一流商社に勤めた超エリートだったが、酒癖が悪いために満州に飛ばされ、そこでもトラブルを起こして事実上のクビになり、美しい妻とも別れて漂白の身になる。やがて肺病を病みまともに働くこともできず、知人友人たちを頼りながら生き延びる生活に陥る。台湾にでも行ってそこで死ぬつもりで、その前に小豆島でも見ておこうと行き着いたその小豆島が、終の住み処となった。

小豆島でも、世話になっている人々に感謝しながら、一方で自尊心のせいで癇癪を起こしたり、恨み辛みを心に募らせたりする。その鬱屈で大酒を飲み、また大失敗をやらかしてしまう。酒を飲むと頭が冴えてきて人を突き刺すような言葉が一層鋭くなる、と言う酒癖は私には全くないし他人でもほとんど見たこともないが、中にはこんな人もいるわけだ。

彼の中での自尊心と劣等感の交錯ぶりは、良く理解できる。東京帝大出の秀才で俳句の才も飛び抜けているのに、収入源はなく専ら知人友人に無心して日々を過ごさねばならない屈辱感が、彼を苦しめるのだ。この辺に関する吉村の心理描写は、簡潔なのに的を得ていて、とても鋭い。

また放哉は、別れた妻の馨への執着を捨てることができなかった。身体が衰えているのにしばしば妻の美しい身体を抱く夢を見るし、最後は彼女の写真を求めたほどだった(叶えられなかったが)。頭(理性)では今さら何をと思いながら、しかし心の中では諦めきれずに妻に執着する男の有様は哀れでしかないが、男はみんなこんなものだとも思う。結局、男は女の魅力に抗えない。身体の魅力だけでなく、優しくして欲しい甘えがある。

馨自身も頑なな性格であったらしく、放哉からの手紙にもほとんど返事を出さず、僅かなお金だけ送って来たこともあったらしい。ただ、放哉と別れてからも再婚せず、放哉の死期が近づいた知らせを受けると最初に小豆島に着いている。ただし死に目には会えなかった。作品中のこの場面は、特に印象的だ。死んで棺桶に入った放哉に馨が出会う。

「どうぞ、仏様を拝んで下さい」

(中略)女の口から叫びに似た泣き声がふき出し、畳に膝をつくと顔をおおった。激しい泣き方であった。女は肩を波打たせ、体をもだえるように動かして泣いている。(後略)

吉村昭は、この種の描写が実に上手かった。彼の作品では何度もこの種の印象的な場面が出てくる。ここも、その一つ。

この馨と対照的な女性として、放哉の最期を看取ったシゲと言う漁師の妻がいる。結局はシゲと彼女の夫の漁師が、放哉を最期まで世話し続け、放哉は漁師の腕の中で息絶える。放哉は死ぬ前、足腰も立たなくなって下の世話までシゲに頼むことになるが、本人は恐縮して頼むのに対してシゲは「なにを今さら水臭いことを言いなさいます。下のものを今日からとりましょうよ。病人なら病人らしくわがままを言って下さいな」と、事もなげに言う。この場面も、強く心打たれる。学も教養もなく、単に素朴で質実な女だが、強くたくましく、かつ温かい。この作品に「救い」を与えているのはシゲの存在だと思う。

作者吉村昭は、自身が肺病で死にかけ、病床で読んだ俳句で心惹かれたのが放哉作品ばかりだったことから、尾崎放哉に興味を抱き、評伝を書くまでに至る。しかしその「あとがき」には「私は、三十歳代の半ばまで、自分の病床生活について幾つかの小説を書いたが、放哉の書簡類を読んで、それらの小説に厳しさというものが欠けているのを強く感じた。死への激しい恐れ、それによって生じる乱れた言動を私は十分に書くことはせず、筆を曲げ、綺麗ごとにすませていたことを羞じた。」と書いている。私はこの文章にも感動する。私が吉村作品に心惹かれる、その秘密の一端がここに現れていると思う。