水素政策批判を書く

急な飛び込みで、いずれも依頼原稿だが、水素関連政策批判を二つ書くことになった。

一つは、国内有志の手になる「非政府エネルギー基本計画」(https://www.7ene.jp/)の報告書(https://www.7ene.jp/file/Nongov7EnePlan-ver01.pdf)を改定する際に加筆するお手伝い。今のところ「Ⅱ.6. 再エネなどの性急な拡大の抑制と技術開発戦略」の中に1節を設けてもらって、水素・アンモニア・合成燃料などがなぜ上手く行かないのかを述べる。ここでは、やや専門的な内容が書けるので、エネルギー収支分析など、少し数字を入れた定量的な議論を展開するつもり。

もう一つは、宝島社から出る本の1章の分担。こちらは一般向けの本で、テーマも既に「水素エネルギー政策の破局」とつけられており、それに従って書く。原稿締切が5月3日と決まっているので、あと正味1ヶ月のみだ。出版話の進行がやたらに早い。一般向けなので、少し柔らかいトーンで、分かりやすさ優先で書く。また、世の中の動きも最新状況を踏まえて書く。むろん、この種のものは書いた端から古くなって行くのであるが。

水素・アンモニア・合成燃料などの批判は、もう既にアゴラに相当数書いたので、自分の中では「もう結構」と言った感じなのだが、世の中では私の批判などどこ吹く風で、水素関連政策がどんどん進められている。このバク進ぶりは凄い。全くの聞く耳持たず。

つい昨日(3/27)も、東京・晴海の五輪選手村跡地で、国内最大級の水素ステーションが開所式を迎えた(https://mainichi.jp/articles/20240328/ddm/008/020/082000c)。小池都知事が嬉しそうにテープカットをしていた。1日に燃料電池バス40台分の供給力があるとか。これに限らず、東京都は水素政策に熱心で、23年12月に「東京水素ビジョン」(https://www.kankyo1.metro.tokyo.lg.jp/archive/climate/hydrogen/tokyo_hydrogen_vision.html)なるものを策定している。

その内容として、第1章は気候危機と水素エネルギー、第2章は2050年の目指す姿、第3章は2030年カーボンハーフに向けた取組の方向性となっている。

2050年には「カーボンニュートラル」を達成するとして、その前の2030年までには少なくともその半分を達成するということで「カーボンハーフ」なる新語を作成したようだ。しかし私の見立てでは、2050年カーボンニュートラルも、2030年カーボンハーフも、実現は難しい。特に2030年と言えばあと6年しかないのに、CO2排出量を現在の半分に落とすなど、ほとんど考えられない。一体、どうやって・・?

そもそも、水素でCO2排出量を減らしたいという願望自体に無理がある。現在の水素製造法として現実的なのは、天然ガス中のメタン(CH4)を水蒸気改質する方法と、水を電気分解する方法の二つである。他の方法は、現在、実用性の見込みがない。

上の二つの方法のうち、安く水素が出来るのは前者で、今のところ水素ステーション等に供給されている水素は全部、この方式に依っている。しかしこの方式では、水素製造時に、メタンを燃やしたのと同じ量のCO2が出る。これでは「脱炭素」にならないので、CCSなどの方式を使って「見かけ上」CO2排出なしで水素を供給しようと悪戦苦闘しているが、実際にはCCSが実用化されるのは2030年以降とされる。CCSについては後日触れるつもりだが、技術的にも経済的にも非常に困難度の高い方法としか言えない。それに、発生したCO2をCCSで処分するのなら、わざわざエネルギーを損して水素を作るまでもなく、天然ガスや石炭をそのまま燃やして、発生するCO2をCCS処分すれば良いはずだ。

実は、水蒸気改質で水素を作る際に、元の天然ガス保有していたエネルギーの約半分が使われてしまう。だから、メタンの水蒸気改質は、全く損な方法である。しかし、水素の化学反応による製造法は散々研究された末に、この方法が選ばれており、今のところこれに対する代替技術は見当たらない。そもそもが、二次エネルギーとしての水素ではなく、アンモニアなどの原料調達用としての水素製造法なのだから仕方がない。

一般に、メタンだけでなく各種炭化水素バイオマスなどの炭素を含む化合物から水素を製造すると、含まれる炭素の大部分はCO2になってしまうから、基本的に「脱炭素」には役立たない。そこで出てくるのが、水の電気分解による水素、通称「グリーン水素」である。これなら、製造時にCO2を出さないから脱炭素に役立つのだと。東京都の水素ビジョンでも、専らこのグリーン水素の活用が謳われている。

しかし、良く考えてもらいたい。水を電気分解するとは、電力を使用することだ。電力は、水素と同じ二次エネルギーである。電力を使って作る水素は、必ず元の電力より高くつくし、効率100%のプロセスはあり得ないから、必ずエネルギーロスも出る。その点でも高くなる。実際、現状で電気分解で作られた水素が商用的に使われている例はない。水蒸気改質で作る水素の約2倍以上の値段になるからだ。故にグリーン水素は必ず高いものになるし、それは原理的に避けられない。技術が進めば安くなると言うものではない。

それに、水素は電力と違い、そのままでは「エネルギー」ではない。燃やして熱エネルギーに変えるか、燃料電池に使って電力にするのである。

この場合、燃やして使うのは他の熱機関と同様なので、エネルギー効率はあまり良くない。この効率で言えば、燃料電池がずっと高い。しかし、燃料電池は一般に高くつく。それに、電力→水の電気分解→水素→燃料電池→電力 と言うループを見れば、最初から電力をそのまま使う方が断然有利で安くつくことは明白だ。

電力は蓄積困難だが、水素にすれば貯められる、と言うのは、よく使われる「言い訳」だが、電力貯蔵手段として水素が優れているかどうかは、別途検討すべきだ。例えば、一般的な効率として、水の電気分解約60%、燃料電池も約60%とすると、この2段階で0.6×0.6=0.36、つまり36%になる。64%もロスするのだ。電力を貯えたら64%無くなる蓄電池って、あり得るだろうか?無駄の典型と揶揄される「揚水発電」でさえ、効率は70%、つまりロスは30%しかないのに。

つまり、グリーン水素とは電力の無駄遣い以外の何物でもない。もちろん、電力を大切に使うべきである。

要約すれば、私にはこんな水素などに狂奔する人たちが何を考えているのか、ちっとも分からないのである。こんな事業に何兆円もの税金をつぎ込む日本政府にも。