心カテ、その他

来週31日に心カテーテル検査を受けることになった。私の身体的弱点は、透析を受けている腎臓と、もう一つ心臓病がある。狭心症の疑いで、これまで6回も心カテをやった。

最初は検査だけで、主要3ヶ所の血管閉塞が分かり、その後1回に1ヶ所ずつ、計3回心カテ治療を受け、ステントと言う管を3本入れた。しかし、半年後に調べたら2ヶ所詰まっていて、再び2回の治療を受けた。これで計6回。

3ヶ所の血管閉塞と言うのは結構深刻で、主要な冠状動脈3本のうち、1本は100%、1本は99%詰まり、残り1本が75%閉塞で、辛うじてその1本で生きていたことが分かった。心電図も心エコーも異常ナシだったのに。「知らぬが仏」じゃなくて「知らずにお陀仏」になるところだった。

今回はそれから半年後の検査で、最初は心CTで調べ、ステント以外の血管はほぼ大丈夫と分かったが、ステント内部は分からず、調べるには心カテしかないので仕方がなかった。

心カテは、手首か足の付け根から管を入れ、心臓近くまで接近し造影剤を入れて血流を調べたり、詰まった部分を物理的に広げる治療法だ。一種の小手術で、最低一泊は必要。動脈に管を入れるので局所麻酔はするが種々痛みはある。終わりに止血する際なども痛い。局麻なので意識はあり、2~3時間の施療中ひたすらジッと成り行きを待つのも結構辛い。しかし、得られる映像は鮮明で、心臓内の血流が手に取るように見える。動画も撮れて、血液が流れる様子まで分かる。だから、心カテ療法は、当分手放せないだろう。死ぬまで付き合うことになるかも。

実を言えば、心臓には自信があった。以前にも書いたが、透析を受けるまではバドミントンの現役選手で、60過ぎてもシングルスをやっていた。10kmくらいは平気で走り、安静時心拍数は50前後で、いわゆるスポーツ心臓だったと思う。しかし激しい運動を止めてからは、ごく普通の身体になった。透析を始めてからは、血管の石灰化を気にしなければならない(実際、進んでいる)。

また、家系的な要因もいくらかあるだろう。父親は心筋梗塞で亡くなっているし、双子の兄も狭心症でステントを入れていて、そこが再狭窄したのが死因だった。姉にも心臓疾患がある。故に遺伝的な体質の点でも、心臓は要注意なわけだ。なお、腎臓は完全な遺伝性の病気で、父方から伝わっている。

それで、腎臓と心臓は遺伝的に要注意なので、娘や孫にも注意するように伝えてある。どちらも中年以降にしか問題にはならないから、孫達には大人になるまで伝えなくて良いと言ってある。この種の遺伝的要因は当人にはどうにも出来ないので、今後遺伝子検査等が普及したときに変な使い方をされないような配慮を望みたい。つまり、結婚・就職・入学・保険等の健康検査項目に遺伝的要因の評価が入ると、どんな病気になりやすいとか、どんな気質・体質であるか等まで相当程度に明確になるから、それらが評価に影響するのが怖いのである。

体質や病気のなりやすさ等はある程度遺伝するが、知能や才能はあまり遺伝しないらしい。だから昔から「トンビが鷹を生む」ことがよく起きた。おそらく、知能や才能に関与する遺伝子が非常に多いので、簡単には親から子へは伝わらない代わり、何かの拍子でいきなり発現したり、子供ではなく孫に遺伝したりするのだろう。

と言うわけで、次に仕事場に来るのは一週間後の木曜日、もう11月になっている。このブログも今月分はここまで。また、奇しくも11回目で終わった。

11月には下旬に放送大学で2日間の集中講義があるし、年賀状の発売も始まる。ある会誌の新年号に載せる原稿依頼も、11月末が締切だ。11月は、結構忙しい感じ。

去年4月に義母が亡くなったので今年は年賀状書かずに済んだが、来年用はまた書く。虚礼は廃止すべきとも思うが、年に一度くらいは近況報告のつもりであれこれ書き込んで送るのも一興と思い、専ら自分のことだけを書く。相手がどう受け取るかは分からない。プラトンは「書かれた文字は、誤読から身を守る術を持たない」と書いたが、全くその通りだ。自分の書いた文章がどのように読まれ受け取られるかは、書き方にもよるが、その他は運任せ。それでも私は書く。