しっかり考えること:哲学の重要性

国会の「政倫審」を公開にするか非公開にするかで散々揉めたが、実に愚かなことだ。「包み隠さず説明する」と言っているのだから、完全公開で何が不都合なのか説明困難だろうに。政倫審の現行規則がどうであれ、今どき、公開せず議事録も残さないなど時代錯誤も甚だしい。屁理屈をこねるのもいい加減にしろ!と言いたい。国民は怒り、呆れている。

結局は岸田総裁が自ら出席するというので、子分たちも出ることになったが、わが国会における知的レベルの低さは目を覆いたくなるほどだ。これが一国の国会の姿だとは・・。二言目には「定義」を持ち出す論法にも飽き飽きした。まったく、真面目な議論ではない。

この種の、屁理屈で正しい理屈を冷笑し煙に巻くやり方は、第二次安倍内閣以来、特にひどくなったと私は思う。何でもかんでも「閣議決定」で決め、まともな議論に背を向ける。今の岸田政権も、その傾向を受け継いでいるに過ぎない。日本社会の知性的な劣化は、この頃から急速に進んだのだ。マスコミも知識人の多くも。

思えば、古代ギリシャアテネでも、似た事態が発生していた。ソフィストと称される輩が活躍して、カラスを鷺と言いくるめるような「言論術」を売り歩いたからだ。要するに、今で言えば「ハイ、論破!」とやっつけてしまう方法を伝授したわけだ。むろん、大いに売れたらしい。昔も今も、衆愚政治は変わらない。

それに異を唱えたのがソクラテスだった。対話の技法を用いて、ソフィストたちを自己矛盾に陥らせ、ギャフンと言わせたのだ。そのためもあって、ソクラテスは「耳に入った虻」のように煙たがられ、結局、あらぬ罪で訴えられて死刑を申し渡され、毒杯をあおいで死んだ。その記録を弟子のプラトンが書き残している(「ソクラテスの弁明」、「パイドン」など)。

その後のプラトンの著作は結局、これらソフィストらの屁理屈と「正しい理屈」を区別するにはどうするか?「真」とはどのように得られるのか、それはどうやって判断できるのか、正義とは何か、それを実現できる社会の姿とは等々・・?を追究する学問=哲学となった。

今の世の中、哲学など無用の長物と思っている人も多いだろうが、既にプラトンの時代もそうだったのだ。実際、プラトンの著作中には「若い頃に哲学に熱中するのは好ましいけれども、いい歳になっても哲学にうつつを抜かす奴らはぶん殴ってやりたい」なんて発言が出てくるくらいだ。むろん、ソクラテスの論敵の発言だが。

しかしそれでもやはり、哲学の重要性は無くならない。それは、物事を根本から考えることなので。屁理屈を屁理屈だと証明するには、まず「真」の認識や「証明する」とはどう言う事態なのかを明確にしなければならない。しかし実際には、そう簡単な話ではない。賛成者が多いからと言って真実である保証にはならないからだ。昔のガリレオの地動説裁判を見ても分かるはずだ。人間は一体、どうやって「真」にたどり着けるのか・・?

それで結局プラトンは物事を根本から考える必要を感じ、最初はイデア論を説き、その後、この反省の意味を込めて、かなり抽象的で難解な「パルメニデス」のような著作を書くことになる。この本はマジ凄い。人間の思考力って、ここまで行けるんだ・・。代表作「国家」を含め、これらの著作を読むと、考えるとはどういうことかを実地に教えられるような気がする。故に現代でも、プラトンを読むことには価値があると私は確信している。

プラトンが追究した内容を、近代になって鍛え直したのがカントだと言えるだろう。カントの著作中にも「いたく評判の悪い哲学」という文言が出てくるので、やはり今と似ているわけだ。私の理解では、カントの思考法はプラトンのそれと親和性があると思う。プラトンは弟子のアリストテレス以来、種々の誤解に曝され、現代でさえそうであるけれども。

柄谷行人によれば、カントの見方は「超越論的」である。これは例えば「鏡を見ている自分、自分を見つめている自分:内省的自己」を、さらに他人の目から見ているような見方であるらしい。故に、単なる自己反省あるいは内的対話、独白などとは性格の異なる思惟が展開される。「超越的」な存在とは「神」であるが、「超越論的」な存在は、私の理解では、人間そのもの、あるいは人間の思惟の本体である。故に、柄谷と同様、私も後者を選び取る。

この点では仏教思想の「唯識」も超越論的と言えるだろう。この世界とは、自己の意識に写った像である、と認識するためには、その「意識に写った像の状況」を、さらに他人の目から見なければ分からない訳だから。唯識に共感を覚えるのには理由がある。

このようにして漸く、何が真実であるかを確かめるための基礎が出来上がる。何ともしんどく、迂遠な道である。多くの人間は、こうした厳しい道のりに耐えられない。つい、安楽な道へと短絡する。しかし中には、このような道を歩み続ける人間がいる。プラトンやカントはそうだったし、現代では柄谷行人がそうである。私などは、彼らの後をフウフウ言いながら追いかけているわけだ。少しでも「真実」に近付くために。