今日もあれこれと

3月になって早9日だ。今週は火木と出張続きだったので仕事場でパソコンに向かう暇がなかった。来週も火曜が出張なので次は14日の木曜になる。それでは毎日溜まるメールが処理しきれないので、仕方なく土日も、午後だけだが仕事場に来る。メールが1週間以降は消去されるので、それ以上の間隔では大事な連絡等が消えてしまう心配もある。やはり週3日、透析で拘束される不自由は大きいが、これは仕方がない。

まあ取りあえず、2月中に税金の申告関係は全部終えたし、国際学会の発表も無事終えた。来週の出張が済めば一段落する。書きたいこと、書かねばならないことはたくさんあるが、書くためには調べたり確かめたりする必要があるので、滅多矢鱈に書いては出す、とは出来ない。

ある知人の話では、facebookに一日何度も送信してくる人がいるそうだ。何かにつけ、意見感想その他を書き殴ってくるらしい。書き殴ると形容したのは、打ち間違いが多くて読みにくいから。つまり、その人は自分で書いた文章を読み直すこともなく送信しているようなのだ。これでは、受け取る側はたまったものではない。はた迷惑な行為と言うべきだろう。

私自身はSNSの類は一切やらない。facebookに誘われたこともあるが断った。返信しなければならない点が煩わしい。返信する義務はないが、無視していると取られるのも鬱陶しいのだ。アゴラ等に載せた論説に寄せられたコメントなどを見ても、碌な反応はないし、多くは単なる誹謗中傷だ。つまり、中身はロクに読まずに、ただ貶めて憂さ晴らしをすることだけを目的とする書き込み。そんなものを読んでも精神衛生に悪いだけで建設的な契機は何も無い。だから私は、この頃コメント欄は一切読まないようにしている。必要な連絡などは、個人的なメールやLINEで済むので、一般に公開する形のSNSはやる気がしない。もちろん、そのために社会的な拡がりに欠けることは承知の上だ。こうして、ネットの片隅でひっそりと感想などを書いておけば、いずれ誰かが読んで広がることはあるかも知れないが、自分から積極的に売り込む気はない。言わば日記代わりの備忘メモみたいなものだ。

今の世の中、ネット社会の拡がりの中で、例えば大谷選手の結婚みたいなニュースはあっという間に拡がる一方で、311の避難者は「元の土地に帰還する意思のある人」だけが「避難者」として扱われる事実などはほとんど知られない。つまり、種々の理由で故郷には戻らないと決めた人たちは「避難者」にカウントされないのだ。福島原発事故がなければ、平和に故郷で暮らせたはずなのに、本人たちの意思とは無関係に無理やり故郷を去らなければならなかった人々ばかりなのだが、この規定はそんなことを全て、無慈悲にも無視してしまう。国も東電も、何という冷酷さであることか。国策で進めた原発政策であるのに。

また福島で海水に放流されている水の中にはトリチウムだけでなく、ALPSで取り切れなかった百種類以上の放射性核種が含まれたままであることも広くは知られていない。ただただ「トリチウムは低濃度なので安全安心だ」しか伝えられていない。トリチウムは化学的には水素なので生物体に濃縮されることはないから、薄めれば薄めるほど安全度が高まるのは確かだが、他の各種は金属元素の場合、多くの核種が生物濃縮する。この場合は薄めても無駄だ。時間と共に蓄積量が増える。結局は放出を止めるしかない。

自民党の裏金問題も、散々騒がれて政倫審まで開かれたが、結局は何一つ明らかになっていない。裏金還流の仕組みがどのように始まり継続してきたのか、裏金を何に使ったのか等々、誰も彼も「私は知らなかった」の一点張りで、明らかになった事実はほとんどゼロに近い。まさかこれで幕引きなどと言うことがないように、我々国民は凝視続けなければならない。本当は、国会でふざけた答弁をした議員は、落選運動を起こして次の選挙で痛い目に遭わせないといけないのだが。