私の好まないもの その1

以前、ヒゲを伸ばす男について書いたが、それと類似の、私から見て「好みに合わないもの」が世の中には色々とある。むろん「私から見て」なので純粋に個人の好みに過ぎないが、鬱憤晴らしの意味も込めて、文章化してみることにする。以下は、私の目から見て、世の中から無くなれば良いのにと思う事柄である。

まずは初回として、「食べ物・食べること」に関することを書く。

a) 大食い・早食い競争:食べ物をひたすら早く多く食べる能力だけを競うことに、どれだけの意味があるのか、私には分からない。速く走ったり泳いだりするのも同じ「身体能力」だが、早食い大食いは「スポーツ」と言えるのか大いに疑問だ。単に、胃袋がどれだけ大きくなるかの能力を競っているだけだから。それに、目を白黒させてまで食い物を飲み込む様は、どう見ても浅ましい餓鬼の姿だ。この競争に勝って偉そうにする人間の神経が、私には理解できない。

人間を含む「従属栄養生物」は、植物などの「独立栄養生物」が無機物から合成してくれた有機物を摂取しないと生きて行けない。だから、食べ物はすべて天から授かった「頂き物」なのだ。有難くいただく他ない、貴重な贈り物である。その意味で、早食い・大食い競争には、食べ物に対するリスペクトが感じられない。そこが、最も気に入らない点だ。

大食い自慢の人って、一体何が自慢なんだろうか?欲望のまま食ってデブになるのは浅ましいし、いくら食っても太らないのを自慢にするのも、結局は食べ物を無駄に食っていることになる。人間も動物も、食欲のままに食えば肥満になる。だから動物園では与えるエサの量を加減したり断食させたりしている。人間も、過食は避けて、慎ましく食物を「有難く」いただくのが良いのだ。「腹八分目」というのは、多分正しい生活の知恵だ。

少なくともTV番組などで「早食い大食いコンテスト」等を放送するのは、止めてもらいたい。

b) 食べ跡が汚いこと:食事の後、皿や食器が汚らしく乱れている様は、醜い。これも上記と関連するが、食べ物に対するリスペクトの欠如だと思う。野菜やパセリの食い残しが多いが、出された食べ物は好き嫌いせず基本的に全部食べるべきだ。残すくらいなら、最初から少なめに注文すれば良い。立ち去った後、いかにも「食い散らかした」印象を与えるテーブルは、どうにも、情けない。

いわゆる「食べ歩き」の後で、ゴミが大量に落ちている様も見苦しい。食べた後はどうでも良いのか?人間、何につけても「後始末」が大事なことを知らないんだな。

c) グルメ偏重主義:昨今はネット情報の中でグルメ関連も実に数多い。どこの店の何が美味いのどうの、と載るとワッと殺到する。ミシュランの星の数などで食い物屋のランキングが決まってしまう。私も美味いものは大好きだが、いわゆる「グルメ」主義ではない。高いものが美味いとは限らないし、あの種の情報だけに踊らされるのは、好みでない。

実は私は「食べログ」でトンカツ部門の東京ランキング1位から10位までを食べたことがある。東京全域でのランキングなので、当然店は各地に散在していた。それで、仕事で出張した折りに、予め場所を調べておいて食べに行ったのだ。これくらいの上位店だと、どこでも行列しないと食べられなかった。しかし、これらを食べ比べて分かったのは、自分の好みとランキングは必ずしも合わないと言うことだった。ランク1位の店は流石に見事だったが、私が一番美味いと思った店は、実はランク5位だった。以後、その店にだけは足を運ぶ。その他に、神田の小さなトンカツ屋でヒレカツが驚くほど美味な店に出会い、その両店が東京での私のトンカツ屋の定番になっている。

トンカツと言う料理、たかが豚肉を油で揚げるだけなのに奥が深く、出来不出来には雲泥の差がある。使う豚肉の質が一番だが、他にも衣、油、揚げる温度や時間などで、印象は大いに変わる。美味い店のは、出てきたときのプーンとする「香り」からして、既に違う。それに、美味い店は、カツだけでなく味噌汁やご飯、香の物、お茶までも美味い。つまり仕事が全体的に行き届いている例が多い。天ぷらなども同じだが。

逆の例で、NHK「仕事の流儀」に出てきたカツレツの「名店」を訪ねて行って、大いにガッカリしたこともある。目の前でカツを揚げている店主の顔は、確かに番組で見た顔だったから、その当人が揚げてくれたことは間違いないが、出てきた料理は私を全然満足させてくれなかったのだ。番組では、お客がいかにも美味そうに頬張っていたのに。

結局、味の好みは各人が実際に食べて判断するしかない。他人の判定は参考資料に過ぎない。私自身も「食べログ」や「ぐるなび」を参考にはするけれど、ランキングや口コミ評価はあまりアテにしない。実際に食べてみて、評価が全然当てにならないと身に沁みた事も多い。