ヒゲを伸ばす男

私はヒゲを伸ばしたことがないし、伸ばす気もない。毎朝、電気カミソリできれいに剃る。石鹸とカミソリで剃るほどキレイにはならないが、ほんの5分ほどで剃れるから、散髪に行く時以外はシェーバーで済ます。あとはローションと消毒用のオロナインをササッと塗っておしまい。なお、シェーバーと電動歯ブラシはブラウンを主に愛用している。

最近、TVのCMなどでヒゲを生やして出てくる男をよく見かけるが、私の個人的な好みでは今の日本人の(特に若い)男がヒゲを生やしてもあまり似合わない気がする。

まあ好みの問題だが、顔面のヒゲというやつは、あまり美的には感じられない。美しい黒髪や眉毛などを除くと、そもそも「毛」は美的ではない。脇毛、すね毛その他、大体は人目を避けるものと決まっている。だから脱毛サロンなどが流行るのだ。特に、口の周りにモジャモジャとヒゲが生えていて、赤い唇がうごめくのは、気味が悪い。特に嫌なのは料理人がヒゲを伸ばしている場合で、料理にヒゲでも落ちたらどうするんだと思ってしまう。

中には、ヒゲが様になっている人もいる。例えば宮崎駿監督。あの白いヒゲは彼によく似合っている。この前の「仕事の流儀」で1時間以上あのヒゲづらを見ていても、違和感はなかった。話は逸れるが、あの番組は凄かった。何かを創作することが、どんなに人間を追い込むことか。「脳みそのフタが開く」という言葉が印象的だった。

一般に、TVアナウンサーやキャスターは、基本的にヒゲを伸ばさない。かつて民放で若いアナウンサーがヒゲを伸ばしかけたのを見たが、途中できれいに剃ってしまった。おそらく、何らかの圧力がかかったんだろう。むろん、NHKでは全く見ない。多分、ヒゲというやつは見るものに何らかの威圧感を与えるものと認識されるので、TVアナウンサーやキャスターには相応しくないと思われてるに違いない。実際、顔面のヒゲの見た目効果は、愛嬌であるよりは、何と言ってもある種の「威圧感」である。つまり「偉そう」に見えるのだ。

昔の江戸~明治期の男の写真では大抵ヒゲを生やしているが、何となくそれなりに様になっている感じだ。しかし現代日本人の、特に若い男には、ほとんど違和感しかない。昔の男には、目つきや表情に何か威厳があって、偉そうにしていても変な感じはしない一方、チャラチャラした現代の男がヒゲを伸ばしても、全然似合わないのだ。外国人だと、割に自然な感じなのになあ・・。ある程度歳を取って貫禄が出てくると、違和感は大分減るけれど、その代わり「偉そう」な感じはもっと強くなる。どんなもんだい、オレのヒゲは・・、みたいな。

世界中どこでも、女でヒゲを生やすのは変装以外にはない。だから、ヒゲを伸ばすのは男だけの「特権」みたいになっている。その場合、無精ヒゲ以外は、自分の伸ばしたい部分だけ残し、他はキレイに剃る行為をほぼ毎日続けることになるが、それを続けている男たちは、何を考えているのだろうか?特に日本人の男が、鏡を見ながらヒゲの手入れをしている様子を想像すると、何だか変な気がしてしまう。オレのヒゲって、カッコイイよなあ・・なんて思っているのか?それとも、ヒゲを使って自分を「偉そう」に見せたい?ヒゲごときで「偉く」なれると思う?

そもそも、ヒゲを伸ばす理由は何だろうか?個性の発揮?あまり説得力ないよな。顔面のヒゲごときで表現される貴方の個性って、一体何なのよ?私の考えでは、その人の「個性」というのは、その人の生き方や人格全体で表されるものだ。その意味で、この前の「最後の講義」で女優岩下志麻が言っていた「個性ってのは結果論だからね」という言葉には説得力がある。あの講義で、私は岩下志麻に改めて惚れ直したのだった。「極妻」その他の演技でも痺れていたけれど。彼女の、自己陶酔のひとかけらもない厳しい精神の佇まいが素晴らしい。

多くの日本の男がヒゲを生やす理由は、私の考えでは、俳優やプロ野球選手の真似だと思う。つまり、何らかの流行に乗せられているだけだ。その俳優やプロ野球選手たちも、おそらく大した考えもなく単に「誰かがやっているからオレも」となっているに違いない。浅はかな話だ。

もう一つは「男らしさ」の表現法としてのヒゲ。確かに、ヒゲは男しか伸ばさないから、ヒゲは見かけ上、男性であることを強調する。しかし、男らしさをヒゲでしか表現できないのは、情けないだろう。現に、ヒゲなしで十分に男らしい男は山ほどいる。逆から見れば、「自分の男らしさ」に十分な自信が持てないからこそ、ヒゲを伸ばすのではないのか・・?

まあ、ヒゲごときにそんなにムキにならなくても・・とするのが「大人の」態度なんだろう。しかし顔面にヒゲを伸ばすのは美的ではない、とは声を大にして言いたい。