ボツにされた原稿のこと

いつも使用している言論サイトに投稿した原稿が、今回はボツになった。志賀原発その他の危険性や、羽田の航空事故関連の、報道に関する疑問点を書いただけなのに。今、世の中の人たちが気づいたら困ることが書かれていたからだろうか?

ボツにした理由を、編集部は「いずれも調査結果が出てから議論すべき話で、現段階であれこれ憶測で話をするのは、かえって混乱を招きかねない」と言う言い分だった。

しかし私の疑問は、原発推進電事連原発について本当のことを言うのか?羽田の事故も、運輸安全委員会の会見を見る限り信用しにくい、と言うことから、マスコミやジャーナリズムがしっかり監視すべきではないかと言う点なのだ。それで表題も「報道は真実を伝えているのか?」にした。何か憶測でむやみに「危ない」と書いた覚えはない。「知りたい」とは書いたが。

何人かの知人たちに読んでもらい、感想を聞いてみた。概ね、好評だったと思う。例えば「ウェブの言論サイトのご意見として理論的であり、なおかつ貴重な視点だと思いました。逆になぜボツにしたのか、まったくわかりません。」とか「確かに、示唆に富む意見です。一方、編集部が「現段階であれこれ憶測で話をするのは、かえって混乱を招きかねない」と警戒することも想像できますね。要するに、ネットに公開すると、主張内容の責任は著者にあるとはいえ、編集部にも何らかの余波が来るかもしれない、という懸念でしょうね。私には、この投稿は興味をそそられる内容です。」など。なお、大学の同級生たちにも送ったが、返信は一通もなかった。

あれこれあったが、この原稿は「地方を考える」(http://tandtresearchinc.blog.fc2.com/)と言うサイトに載せてもらった。あと、日本ジャーナリスト会議(https://jcj.gr.jp/)の機関誌にも、字数を減らした短縮版が載る予定。これで一応、範囲は限定的だが世の人々の目には触れる。

これをボツにしたサイトは結局、原発に「痛い」話は載せたくないのだと想像される。なぜなら、実際に原発推進論者の原稿は載せていて、そこには「原発は強固な岩盤に直付けされて設置されており、一般の建物とは地震時の揺れが大きく異なる」と書いてあるが、現実には私が書いた通り35cmもの地盤沈下が起きているのに、その論説には、原発が実際にどうなっているか、全然書いていないのだ。

ボツになった原稿では、原発について赤裸々に書いた青木美希氏の著作についても触れている。彼女のどの本を読んでも、伝わってくるのは原発を巡る厳しい現実と、それを正確に伝えることの困難さだ。実際、同氏は本を出す際にも様々な抵抗を受け、勤めていた新聞社名を出すことも避けてしまった。そうしなければ出せなかったからだ。これが現代日本の「報道の自由」の実態なのか・・?

実際問題、今の大手マスコミは、国家=資本に取り込まれてしまったものが大半だろう。大資本は大手スポンサーでもあり、ジャーナリズムの大半はそれらの意向を無視できない、と言うか、その意向に沿った報道のみに偏る傾向になる。それが著しいのは、特に原発関連だ。以前は自由に話せた原発批判が、今はタブーに類した物になっていて、大手マスコミには出てきにくい(朝日新聞など一部には原発批判も載るが)。温暖化・脱炭素関係は、ある意味、原発より酷い。大手マスコミは脱炭素の批判をほぼ一切書かない。この点は徹底していて、その科学的根拠の危うさに誰も気がつかないのか不思議に思えるほどだ。

他に、宇宙開発関係の批判もほとんど載らないし、新型コロナ関係も異論が封じられている印象がある。ネット界隈ではかなり広く議論されていることが、世の中の表舞台に出てこないのだ。核融合もその例に入る。マスコミは「良いこと」だけを伝え書くが、問題点は全然指摘しない。そして、実現はいつ?と聴かれると決まって「あと10年」と言う。しかし、核融合の「あと10年」は、何十年も前からずっとそうなのだ。いつもいつも「あと10年」。これについては、次回以降にもう少し詳しく書こう。