私の立場さしあたり

表題は、「加藤周一著作集」第15巻の最後に置かれた文章のものである。加藤周一は、中年期まで私の読書生活の中心だった。きっかけは、高校2年の国語教科書で「日本の庭」という作品に触れ、その明晰な文章に惹かれたことだった(後に原版を読んで、一部が削除されていたことを知る)。その後、浪人中に岩波新書「羊の歌」正・続に出会い、決定的に虜になった。この本は、その後何度も読み直したので、印象に残る場面の文章は、今でも思い出せるほどだ。

大学入学後の学生時代、院生から駆け出しの助手時代を経て大学の教員として多忙な日々を送るまでの長い期間ずっと、朝日新聞の連載には必ず目を通し、彼の単行本が出るたびに買い、暇を見ては読んだ。彼が扱う題材は幅が広く、国際政治・哲学思想から文学、造形美術などに及び、実に多くのことを教えてくれると共に、私の知的好奇心を大いに刺激したのだった。彼の文章に出てきたのがきっかけで読み始めた作家も数多い。それらは皆、私の人生の糧になった。

彼には数多くの単行本と共に、2種類の著作集がある。一つは、存命中に平凡社から出された「加藤周一著作集」全24巻である。最初は全15巻として出され、その後追加があって全24巻になった。私は、こちらの方は大部分読んでいるが、今読み直しても得るものは多いだろう。

もう一つは、編集自体は存命中に終えていたが刊行は死後になった岩波書店版「加藤周一自選集」全10巻。こちらは後ろの方から読み始め、まだ第8巻までしか読んでいないが、残りも実際にはその多くを別の単行本で読んでいたはずである。後ろの巻から読み始めたのは、この自選集が編年体で年代別なので、彼の晩年の方に興味が惹かれたからである。

彼からは多くを学んだが、中年期以後、他の著作家を読むようになったこともあり、少し距離を置いて見るようになった。例えば、あれほど耽読した「羊の歌」に書かれた事柄が、全て事実ではなく一部は創作であることを、鷲巢力「加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか 「羊の歌」を読み直す」( 岩波書店刊)で知り、少なからぬ衝撃を受けた。もっとも、最初「朝日ジャーナル」に連載されたときは「連載小説」となっていたのが、岩波新書として刊行された時には副題が「わが回想」となっていたので、最初に後者と出会った私が誤解したのも無理はなかったわけだが。

彼の考え方の多くに私は共鳴し、憲法九条の会設立の際にも強く賛同した。彼の書く「私の立場さしあたり」ー言葉について、知識について、信念について、美について、政治についてーの基本的立場のほぼ全てに、私は大いに共感する。

一方で、彼は晩年に「本当の敵は何かを知らなくては・・」と語りながら、その敵とは何かを明言せずに亡くなったことに不満を持つ。また亡くなる直前に、妻の矢島翠の反対を振り切ってキリスト教の洗礼を受けたことにも解せないものを感じる。なぜなら、彼はかつて新渡戸稲造の文章を逆手にとって「自分はなぜキリスト教徒にならないか」を書いていたので、論理的整合性を重んじる彼の思考法と行動が合わないからである。