老人初心者の感慨

先週、69歳になった。あと1年で70だ。傍目には立派な「老人」のはずだが、自分ではそんな気がしない。既に3年前に65歳で定年退職した時に「高齢者」の仲間入りをし、今は人工透析に週3日費やす身なのだから、あれこれの身体的制約が大きいのは事実であるのだが。実際、長い旅行は事実上無理で、(金)土日に往復できる範囲内でしか移動は難しい。それでも、台湾・香港・上海・韓国くらいには行けるかな?まだ敢行していないけど。

一方、私には手・背中・顔面などに老人斑がほとんど無い。スベスベである。髪は白くなり量も減ったが、それは中年以降ほとんど変わりない。加齢臭も少ないはずだと思う(人に臭うと言われたことはない)。今は読み書き時だけ老眼鏡を使うが、その他の日常は(ハード)コンタクトレンズ着用で、眼鏡は使わない。つまり、基本的な身体条件は中年以後あまり変わらないので、気持ち的には40〜50台と大差ないのである。

だから、今の私は、あと1年で70歳になる現実と、自分の実感に結構なギャップがある。これは、阿川佐和子さんの言を借りれば「老人初心者」の陥る罠であるらしい。しかし私は彼女の本を読んでいないし、当分読む気もない。老人初心者を脱して、枯れた「立派な老人」になる気はないのだ。

その一つは、知的好奇心が全然衰えていないこと。大学で研究者をしていたから、研究関連分野への興味関心はむろん尽きることはなかったし、研究できなくなった今でも勉強自体は続けている。現役時代に書ききれなかった英語論文を、まだ書くつもり。研究以外の分野にも関心を持ち続けたことは、以前書いた通りだ。

昔から本を読むのは好きだったが、今も変わりがない。透析中はほとんど読書していることもあり、現役時代よりも読書量は増えている。それと共に、読みたい本が更に増えつつある。現役終了までに「今は読めないが、退職後、死ぬまでには読むぞ」と思う本を溜め込んでいたが、実際にはその後に興味を惹かれて買った本が増え、当初予定したのにまだ手つかずの本がたくさんある。

配偶者には、死んだ後の始末に困るから本をあまり増やさないでと言われているが、多分言われたようにはできないだろう。古今東西、読書家というものは山ほどの本に取り囲まれて「後はよろしく・・」とか言いながら、くたばるものなのだ。

2歳上の姉の言では、70過ぎると急にあちこちガタがくると言うから、来年以降の変化にも注目しよう。