自己紹介 6

日本人は「この道一筋」と言うのが好きだが、私自身は何一つとして「一筋」だったものはない。大学で研究者だったが研究一筋ではなく、バドミントン選手だったがバド一筋でもなかった。読書は好きで本を手放したことはないが、世の中の読書家に比べたら私の読書量など髙が知れている。音楽も好きで、学生時代からずっと、何かしらの音楽を聴き続けたが、所詮趣味の領域だ。絵画や映画も好きだが、忙しかったせいもあり、その経験値は高くない。

読書が好きだったのは、世の中の多くのことに興味があったからである。子供時代は「天文少年」で、星座やそれを巡る神話、月の満ち欠けや惑星の推移と観測ツール(望遠鏡など)に関する諸技術、各種観測・推測のための物理・化学・数学などに関心を持った。「天文年鑑」を毎年購入していた。流星群観測のために、深夜まで眠い目をこすりながら見上げたものだが、なぜか、しばしば曇ってしまった思い出しかない。

地上のことでは、まず歴史。日本や世界の歴史を読みあさった。また「人間が何を考えてきたのか」にも大きな関心を抱いた。哲学や思想の歴史である。その中で私を魅了したのは、古代ギリシャと、仏教を中心とする古代インドだった。孔子その他の、古代中国にも惹かれた。歴史の多くは、人間社会の政治と経済の動きと言えるが、なぜか学問としての政治学や経済学には強い関心を抱かなかった。ただし最近は、新自由主義を克服するためには、もっと経済学を学ばなければと言う問題意識を持っている。

研究に関しても、何かのテーマに関して「この道一筋」だったことはない。最初は微生物を利用する廃棄物処理がテーマだったので、微生物学・生物化学工学・分子生物学などを学びながらの研究だったが、環境の問題では科学・技術だけでは片付かず、経済や社会システム(法律や制度その他)に関わるものが多かったので、必然的に分野横断的な研究内容になった。つまり、実験を主とする「ハード」的研究と、調査や計算を主とする机上の文系的「ソフト」的研究の両方が必要と考え、実践した。周囲には、同じ考えの人は全然いなかった。

今は計算機の中でのシミュレーション全盛だが、私自身は実験で現実に確かめないと信用できない(中には実験困難なものもあるが)。だから、実験・実測を伴うハード的研究は必須だと思う。しかし一方、その研究にどんな意味があるかを確かめるには、社会的評価に関するソフト的研究も要るはずだ。現実には、その両方を実践している研究者は少ないのであるが。

私自身、研究においてもハード・ソフト両面の「二足の草鞋」状態だったので「貴方の専門は何ですか?」とよく聞かれた。さぞ、中途半端な奴に見えたことだろう。無理もない。

しかし今の私は、そのやり方、つまり何かを「専門」と固定しない「非専門」の専門家であることに積極的な意味を見出している。詳しくは、次回以降に。