自己紹介 7

自己紹介シリーズが長くなってしまったが、もう少し書いておくべき事柄がある。

一つは、私が一卵性双生児として生まれたこと。つまり、産まれたときから自分とそっくりな兄弟がもう一人いて、小学校低学年まではクラスも一緒だった。要するに、常にペアと言うかセットで扱われていた。このことの精神的影響は、大きかった。

二歳上に姉がいたが、子育てに親はさぞ苦労したことだろう。一度に新生児を二人も抱え込むことになって。実際、母親の母乳はすぐに尽きて、粉ミルク代が家計の大きな部分を占めたそうだ。当時は森永ヒ素ミルク事件で大騒ぎだったが、我々は幸い難を免れた。

当時は双子は珍しがられたので、小さな頃から好奇の目にさらされた。子供心にも、人の目が鬱陶しく感じられた。また小学から高校まで、勉強だけはできたのでクラス委員などを勤めることが多く、人前に立つ機会が多かった。中学の時、学年委員長などと言うものに推され、全学年数百人の前で話すこともあった。そのためか、人に見られたい、認められたいと言う欲求は殆ど湧かず、逆に、目立ちたくない、誰の目にも止まりたくない気持ちが強かった。大学に入って、大人数の中で誰にも注目されなくてホッとした想い出がある。

双子で生まれたが、戸籍上は一人目が兄で、私は弟だった。しかし学校の成績は、小学から高校まで常に私の方が良かった。これは兄にとって大きな精神的負担だったはずだ。両親も、双子の成績が離れるのを気に病んでいた。一番離れたのは高校1年の時で、私は全学年で3番なのに、兄は学年の下から数える方が早かった。これには両親も頭を抱えた。兄の高1時の担任教師がまた酷い奴で、励ますどころか傷口に塩を塗り込むような言葉を吐いた。今でも、こいつのことは許せない。英語教師だったが、チャラチャラした軽薄な奴だった。女子は美人だけが大好きで。こんな奴に限って校長とかになるんだから・・。

兄が立ち直ったのは、高2時の担任教師のお陰である。辛抱強く励ましてくれて、兄の成績も少しずつ上昇した。2年終わりの頃、成績が急上昇した時には、休み時間に大喜びで結果を教えに来てくれたそうだ。これで兄は立ち直った。高3の終わり頃には、成績は大差なくなった。

高校生物の授業で「クローン」を学んだ後「オレたちってクローン人間なんだよな」と言うことで、両手指の指紋を調べたこともある。結果は、約8本がほぼ同一、明らかに紋様が異なる指が約2本あった(1本は判断つかず)。遺伝的な相同率は、一卵性双子は7〜8割と言うことが確認できた。細胞内の遺伝情報は全く同一のはずなのに、外に現れる相同率は100%でないことは不思議でもあり、また生物の奥深さを表すようにも思われた。