時間は実際に存在するのか?

「時間は存在するか」という問題は、物理学や哲学では昔から重要問題だった。現在の物理学では、速度や加速度などの概念は全部、数学的には変化量を時間で微分する形で記述される。従って「時間」は実在する物理量であると普通は思われているが、本当にそうだろうか?

私自身の考えを言うと、「時間」は人間の意識が作り出した「概念」であって、物理的には実在しないと思っている。

人間の意識の中では、時間は普通、過去→現在→未来と一方的に流れて行くもので、従って空想の世界では、時間の任意の時点に飛び跳ねる=ワープすることが可能なような気がしている。タイムマシンとかタイムトンネルを考えるのも、そのせいだ。しかし、それは幻想に過ぎないと言うのが私の考え。

その理由は、まず「時間」は、何か変化しなければ測れないこと、そもそも時間または暦の観念は、1日で太陽が昇り・沈み、1年で星座が一周して元の位置に戻ることから考えつかれている。時計は針の動きで、現代の精密な時計は結晶の振動や原子の動きなどを基に時間を計測するが、どんな場合でも変化量(=実在の物理量の変化量)を測定して、それを「時間」に換算する。だから、時間はどんな場合でも一種の「換算値」に過ぎない。つまり、概念の産物。

こうなるのは、人間の意識には「記憶」があるため「過去」に遡り、また「想像力」があるため「未来」を想像することが出来るからだ。そのため人間の意識の中では、過去→現在→未来という一直線に流れる「時間の矢」が、自然に出来上がる。だから、人間の意識の中では、時間の存在は自明であるように思えてしまう。

しかし、意識のない世界では、時間は存在しないだろう。例えば、バクテリアの世界では「意識」はないはずだから、彼らの「世界」を想像することは難しいが、バクテリアの中に時間概念があるとは想像できない。ただし、彼らの中にも「生物時計」はある。細胞分裂周期の存在などがその証拠だ。しかしそれは、何らかの物質的変化の結果として起こり、時計で計って動いているのではない。やはり、何らかの「変化量」を「時間」として表現している。

また、地球はすごい速度で自転しながら太陽の周囲を周り、太陽自身も銀河系の自転とともに動いているから、空間的には、1秒経ったら相当違った場所にいる。1日前なら、かなり「遙か」だ。どうやって「昨日」の世界に戻れると言うのだ?ましてや何年も前とか未来とか。

つまり、我々の前にある実在は、現時点=現在しかないのだ。過去は過ぎ去って決して戻れないし、未来はまだやって来ず、触れることも出来ない。死者が決して甦らないのも、そのせいだ。時間が一方向に流れるという感覚も、人間の意識が生み出している。だから、意識が混乱・錯乱すると時間感覚も狂ってしまう。これは精神医学の研究で分かっている。

人間の脳が作り出す「意識」「記憶」「概念」などは、現在の科学では解明されていない領域だ。むしろ、古代インドで生まれた仏教哲学、特に唯識などの方が、脳の働きに対する本質的な洞察に満ちているように思う。現代脳科学の最先端が明らかにした意識モデルが、唯識学の教義とほとんど一致すると言う、驚異の事実がそれを物語る。