始まり、始まり、その2

本日、2023年6月22日にこのブログを始めることに特別な理由はない。以前からずっと、ネットに何か書き残す手段を考え、やはり個人ブログかと思い、あれこれ調べたり迷ったりした末に、このブログを選んで書き始めたのが今日だったと言う、言わば偶然の結果である。

しかし、この日には個人的な思い入れがあり、過ぎ去った日々に対して多少の感慨を抱くが、所詮は個人的な出来事なので詳細は省き、その事実だけを書き留める。

これから書いて行く内容は主に、私が読んだ本、聴いた音楽、見た映画や絵画、時事的話題などを素材に、あれこれ考えたことを文章化したものになる。つまり、読み・考え・書く日々の実践と言える。

世の中には膨大な情報や文章が溢れているから「私だけのオリジナル」は少ないだろう。昔の人でさえ、そう言っている。例えば、モンテーニュの「エセー」には、たくさんのギリシャ・ローマ期の文献が引用されている。最も多いのはプラトンだそうだが、ローマ期のセネカも目立つ。それでモンテーニュご本人も「この本は様々な文献からの引用で満ちており、私自身の創作はほとんど無い。つまり「借り物」だらけの本なのだ。」と正直に述べているくらいだが、いやいやどうして、「エセー」には我々現代人が傾聴すべき意見や感想がたくさん載っている。モンテーニュプラトンは私の「先生」なので、今後何度も触れることになるはずだ。

そして最近は、ChatGTPなどの生成AIが発達してきて、ブログ程度の文章ならスイスイと書いてしまいそうな勢いである。誰が書いたか分からないような文章も、ネットその他に氾濫するようになる。各個人の「個性」などは、膨大な情報の海の中に沈んでしまうかも知れない。そんな中でも、私自身は、生成AIが書かないような内容を書いて行きたい。その理由は次回に。