1)歌手ロバータ・フラックが亡くなった。88歳だから大往生と言うべきだが。彼女の歌う"Killing Me Softly with His Song"を聴いたのは、大学に入った年に部屋でFMを流していた時だった。聴いて、一遍に好きになった。あの歌を「やさしく歌って」と訳した人は天才だと思う。元々はある女性シンガーソングライターが歌っていたこの曲を、ロバータが聞きつけて自分のレパートリーにしたのだが、オリジナルよりロバータが編曲した版の方が明らかに良い。70年代は、ビートルズ解散以降だがS&Gその他英語の名曲に多く親しんだ時期だった。ロバータ・フラックのこの曲もその一つ。カラオケでもよく歌ったっけ。また一つの時代が過ぎて行く、との感慨を禁じ得ない。
2)その間にも世界は動き続ける。トランプ・ブルドーザーがばく進中。今のところ誰も止めることができない。国連総会の決議で、米国がロシア側につくという、少し前には想像もできなかった事態が現に起きているし。実際のところEUと日本は困っている。どうして良いのか分からないから。日本はしばらく、静観の構え、つまり何もせず何も言わず、言わば「忍法死んだふり」に徹するみたいだな。本当はインドネシアみたいにさっさとBRICS加盟などをやれば良いんだが、これまでの手前、そう簡単に方向転換できないわけだ。頭が固いからなあ。
昨日のISFに載った「今トランプが指摘していることは、ロシアがずっと主張してきたことと同じだ(https://isfweb.org/post-51977/)」という記事は、少し長いけど一読の価値がある。日本のマスコミには載らないことが書いてある。私のような田中宇ニュースの愛読者にはごく普通に読めるけれど。日本のマスコミは、何かにつけてトランプをけなし、難癖をつけようとするが、もはや無駄だな。トランプとプーチンが組み、これに習近平が乗って米露中がスクラムを組んだら、もはやどこも逆らえない。世界大戦の危険度も大幅に下がる。あとは貿易戦争をどの辺で収めるかだろう。
3)池内紀さんの本を2冊読んだ。「すごいトシヨリBOOK」と、「ゲーテさんこんばんは」の2冊。前者は、70歳になった池内氏が自分の老いと向き合うことから書かれた本だ。私としては今70歳の自分と彼と、どこが同じでどこが違うかに興味があった。彼は、「77歳のときには世の中にいない」ことを前提に物事を考えたそうだ。実際に77歳になったら、あと3年延長する、満期が来たら三年単位で延長すると言うルールに変えた。
彼は1940年生まれ、2019年に亡くなっているから79歳まで生きた。つまり77歳からは1回だけ延長できたことになる。私は、この3年延長説に賛成する。長すぎず短すぎず、丁度良いから。今の私も、77歳まで生きられるか自信はないし。
本の中身的には、私とは異質なものが多かった。例えば老いの特性の中に「群れたがる」というのがあるが、私には全然当てはまらない。私は若い頃から今に至るまで、群れるのを一貫して好んでいない。「老化早見表」のうち、失名症はあるにしても、話の横取り症や過去すり替え症、ベラベラ症などは、自覚的にはない。一方「最後まで話を聴く力の大切さ」については大いに賛成する。老いと病、自立のすすめ、老いの楽しみ、日常を再生する、老いの旅などの各章は楽しく読めたが、自分には当てはまらないものが多かった。一つには、池内氏は55歳の若さで隠退生活に入られたので、その期間が65歳定年の私より大分長いことが関係していると思う。無論、個性の違いが大きいのだが。
この本を読んで思うのは、同じ70歳の高齢者と言っても考え方感じ方生き方はやはり人それぞれであって、典型的な「型」というものはないと考える方が良さそうだということ。ただ老いに共通する各種機能・能力の衰えについては、どうしようもないから受け容れるしかないのだ。受け入れ方にも個々人の個性が表れるものであるが。
もう1冊の「ゲーテさん こんばんは」は興味深く読んだ。私はゲーテ作品を一つも読んだことがない。学生時代にエッカーマンの「ゲーテとの対話」を岩波文庫で読んだことはある。これは京大教養部時代のドイツ語の授業時に、担当の高津先生がさり気なく紹介してくれたのを記憶していて、3年~4年次に読んだのだった。確か文庫本3冊を全部読んだと記憶する。ゲーテが老年に至っても生き生きと生活していた様子が描かれていて、読んでいて何だか元気が出るような本だった記憶がある。あの当時、私はどうかすると気分が落ち込みやすかったので、あの本に出てくる溌剌としたゲーテの姿から、精神の輝きとか生気(バイタリティ)をもらっていたような気がする。
この池内本に描かれているゲーテも同じだ。森羅万象、ありとあらゆることに生き生きとした興味を抱き、文章や詩を書き、絵を描き、標本を集め、山登りを好み、行政官としても働き、かつ光学・色彩学その他の自然科学的探求も行った。そしてワインを毎日2本も飲むような大酒飲みだった。齢70を過ぎて19歳の少女にプロポーズして振られた。そして82歳で大作「ファウスト」を完成してから亡くなった。何とも凄い一生だった。この万能の天才ぶりは、タイプ的に空海やレオナルドに似ているが、彼らより外向的で楽天的な人だったように思える。それにしても、凄まじい精神のエネルギー量を感じる。いずれ池内訳の「ファウスト」を読んでみたいが、いつになることやら。
この読書に刺激を受けて、今の私はもう一度仏教思想の本質に迫りたいと思うようになった。その手始めに、龍樹(ナーガールジュナ)と世親(ヴァスバンドゥ)に関する本を読むつもりだ。中観と唯識と言う大乗仏教の二大思想を深く理解しないと、仏教思想の本質には迫れないと思うからだ。それにはこの二大巨人の著作を読まなくては。この二人の著作は、極度に難しい。彼らの凄まじい思考力と知識量には驚かされるばかりだ。大昔には、なぜかこんな化け物じみた知の巨人が存在した。近現代には、哲学思想史を見てもこの二人に匹敵する人間は見当たらないと私は感じている。それほど桁違いの存在なのだ。当分の間、透析中の読書はこの二人の著作との格闘になる。楽しみだが怖いような・・。